年末年始の帰省のたびに、

親であるポンカンさんの老化具合をチェックして記録している。

 

このように言葉で書き残しもするし、

部屋の中を写真に撮っておいたりもする。

言葉の記録は細かい経緯や心情も書き留めて置けるし、

画像はやはり良くも悪くも気付きたくないことでも一目瞭然の証拠となる。

 

2022年は比較的安定したまま迎えることができた。

 

部屋も片付いているし花も飾っている。

軽い運動も続いているし話す表情も明るい。

数年前の心身の調子が悪かった時に比べれば本来の暮らしまで回復しているし、

あとは普通の緩やかな老化と私は受け取っている。

 

今回特に気になったところは・・・

 

コロナ禍で無趣味が加速

無趣味は前々からの課題であった。若い時はそれなりに趣味があったし、定年になったらアレコレやるんだと言ってはいた。が、ポンカンさんはもともと自発的に行動するパッションが強くない。友達に誘われたなど流されてようやく腰が上がるタイプだとわかっているので、歳を取ってから急に能動的・積極的になることは期待していない。

 

しかし毎日の時間を持て余していることは問題だ。

やることがないとただ座ってTVを眺めている時間が増加する。能動的・自発的に何かをすることは脳の劣化予防に必要だ。好きそうな本やパズルを贈ってみたり、体験教室のチラシを持って一緒にやろうと誘ってみたりしたが新しいことはなにも受け付けなかった。

 

昔やっていたことをまたやってみようとも思わないようだ。昔はもっとできたのにとよく嘆いており、昔やっていたことをまた始めることによって「昔より劣化している今の自分」を認識するのがイヤなんだと思う。

 

コロナ禍で家で1人でできるなにかを見つけて欲しかった、いずれ足腰が弱った時にそれが気持ちを慰め日常にハリをもたらすだろうから。

 

なにもしなければ老いを感じなくて済む

ポンカンさんは昔からまじめで自尊心の高い完璧主義者の典型であった。

そんな人が高齢になり、昔はあんなにできたのにと過去の自分を思い出しては今を嘆くというマイナス思考に囚われてしまう。

もう歳なんだしできなくて当たり前、むしろこんなにできるんだから良しとしよう!という考えを持てないのだ。できなくなった自分を認められないこじらせ高齢者が出来上がるのである。

 

新しいことへの心理的なハードルは年々上がり、昔を比較して今を悲しむネガティブさは、結局「なにもやらないでおこう」という結論に至る。なにもしなければ劣化した今のみじめさを感じなくて済むからだろう。

 

そしてただTVの前に座り、興味を持つこともなくワイドショーをただただ眺めているだけの毎日を送り、脳の劣化を自分で促進させているのである。何もしないと本当にできなくなる。自分から危機感を持って老化予防に努めてほしいと思う。

 

定年になったらやる、燃えつき気症候群が治ったらやる、コロナが収まったら、腰の調子が良くなったら、白内障の手術をしたら・・・と先延ばしにしてもう7〜8年にはなろう。最近は「何もしないことが老後の最高の醍醐味だ!今なにもしないために長年働いて頑張ってきたのだ!」と正当化しつつあり、そりゃそうですねと返答するしかない。。。

 

 

無関心、面倒臭がりの加速

これも昔からと言ってしまえばそうなのだが、流行っていることや他人に強い関心を示す性格ではない。責務や役割など課されたことをこなすのには長けているが、自発的に外界に興味を持ってアクションを起こすことは苦手なのかな。

 

ニュースを見てあーだこーだ言うが掘り下げて深く知ろうとしないし、番組を見ておいしそうなケーキだ食べたいなとは言っても買いに行ったり食べに行くのは面倒だという。ヘアサロンや定期検診などは雨が降ろうがちゃんと行くが、親戚の見舞いに行くのに1時間の電車移動が面倒だ、2年ぶりの親戚での集まりも面倒だから参加しないという。

 

やらない理由を正当化する言い訳はなかなかのもので、それだけ知恵が回るのならまだボケてはいないと思うが、もともと持っている性質が際立っていくという老化の進行は如実に感じている。

 

 

結局のところ、あなたがなんとかしてよという依存心

なぜ健康で年金も十分あるのに今を楽しまないのか、危機感を持って今からいろいろと考えたり行動しておこうとしないのか、老いを悠長に嘆いているだけなのか。私にはイマイチ理解できないポンカンさんの心理だが親戚から以下のように指摘された。

 

結局のところ、なにかあれば娘が飛んできて世話を焼いてくれればいいと思っているのよ、と。

したくないこと=高齢だからできない、代わりに子供が解決してくれて当たり前、苦労して育てたんだし、今自分は高齢者なんだからしたくないことは子供にやってもらって世話を焼かれる立場にまわってもいいと思っているのではないかと。

 

それって老化というより元々持ってる性格・・・依存だよね。自分を律する気持ちは?

 

確かによく「あなたが帰ってきたときやればいいじゃない!」と開き直る。まだ60代でもそんなことを言っていたのだから、70代になってからは頻発している。逆ギレしているだけかと思っていたが、親戚によるとそれは本音で普段からメンタル面でガッツリ子供を当てにしているらしい。

 

世話のしすぎは老いを加速させる

60代で体調を崩した時にかなり世話を焼いたことがあった。掃除やご飯作りや手続やイヤな人への電話や問題解決まできめ細かく請け負った。本当に日常生活ができなかったからだ、その時は。

チヤホヤ世話を焼かれて嬉しかったのかもしれないが、今は回復し元気な高齢者だ。足が痛かろうが面倒くさかろうが自分でできるはず。

今回も炊飯器のフタのそうじレベルのことを「あなたが帰ってきたときやれば〜」と言い出したので、改めて言い含めておいた。

 

できないことは助けるけど、やりたくないことの後始末は私の義務ではない。

 

掃除すらできないというならすぐ地域包括センターへ相談して、要介護チェックをしてもらって、介護保険の範囲で家事の支援を申請する。必要ならデイケアの施設も探す。そのために介護保険を払ってきているんでしょ、と。

 

自宅での自由な暮らしを1日でも長く続けたいなら自分でできることは自分でやらなければいけない。できなくなったら施設に入ってもらう、祖母のように。それを月1で見舞ったポンカンさんと同じように私もする。自分が元気なうちに入りたい施設を見つけておいてくれると助かる、私に任せると慣れた場所から遠くてもその時私が通える範囲の経済的に入れる施設からしか選べない、そうなってからでは自分の好みも伝えることができない。

 

それが嫌なら、今の自由な生活をできるだけ長く続けたいなら、最低限の自分のことは自分でできるように維持する努力をしてほしいと。

 

2022年始恒例の老化チェック、

生活そのものはおおむね良好、体も健康で安堵している。

願わくば早くコロナが収束して、人との交流が戻って脳の活性化を促進させてほしい。