PDと音楽ネタです。

44マグナムのボーカル  ポールこと 梅原達也さんは

45歳の時にパーキンソン病であることを公表し

2016年にDBS手術を受けました。

 

 

東スポより

 

デビュー40周年を迎えたヘビーメタルバンド44MAGNUMが4日に

東京・新宿BLAZEでワンマンライブ「40th Anniversary Live Chapter1」を開催した。  

 

多くの後輩アーティストもお祝いに駆けつけ、

ギタリスト広瀬〝JIMMY〟さとしの華麗なプレーとステージアクションに、

X JAPAN、LUNA SEAギタリストSUGIZOは見入った。

 

44マグナムのローディ出身のD’ERLANGERのドラマーTetsuは、

ハードロック界の重鎮となった師匠・宮脇〝JOE〟知史を見守った。  

 

収容率上限100%でマスク無しで、観客が歓声をあげることができるのは約3年ぶり。 

 

「みんなの顔がキラキラしていて楽しい。楽しいよね」(梅原〝PAUL〟達也)、

 

「まだ50%くらいの感じだよね。長いこと声出していなかったよね。静かだよね。

でも、ライブを守りぬいてくれてありがとう。今夜は目いっぱい楽しもうぜ」(STEVIE)

 

  世界でもレアな親子のツインボーカル。パーキンソン病で闘病中の父を

パワフルなシャウトで息子がサポート。  

 

X JAPANの弟でLUNA SEAの兄的なポジションのバンドLADIESROOMの

ベーシストSEXX GEORGEが昨年からサポートで参加。

 

アメリカの人気バンド・モトリー・クルーのニッキー・シックスを

彷彿とさせるスタイルでベースを低く構えて、貫禄ある演奏の傍ら、

声を巧みに変えながら、久しぶりに声出しをする観客をナビゲートした。 

 

 9月15日に大阪、9月17日に兵庫、9月27日に東京公演を行なう他、新曲も準備中だという。

 

 

音楽ナタリー

 

 

2017年の日刊ゲンダイの記事です

45歳でパーキンソン病に 伝説ロック歌手が語る壮絶闘病

「生きるとは音楽をやること」

「50歳で車いすか寝たきり」と宣告されながらも、

通常の20倍もの薬を飲んでステージに立ち続けたが、

その反動もあって症状が悪化。体の自由がきかなくなると、

頭の中に電極を埋め込み、脳神経を制御する手術に踏み切った。

2016年8月のことだ。梅原さんがこう言う。

「頭をボルトで固定して、局部麻酔で10時間もの手術を受けるときは、

さすがに後悔しましたけれど、

もう一度ステージで歌うにはそれ以外に選択肢はなかったんです。

俺は歌うことしか知らないし、歌だけあれば十分。俺にとって生きるとは、

音楽をやることで、音楽がなきゃ生きているとは言えないんです」

1000人に1人とされる難病を発症した当初は

「なぜ、俺が」と運命を恨み、トイレにも行けず、

寝返りを打つことすらできなかったときは絶望し、うつにも苦しんだ。

「それでも最後の最後に諦めないでいられたのは、

俺の病気を受け入れてくれる理解者がいてくれたから。

頑張りたくても頑張れないのを分かってくれた。

『動けるようになったらまた一緒にやろう』と言ってくれた

バンドの仲間たちにどれだけ救われたことか……」

■病気は「調子に乗りすぎだ」と神様が与えた試練

 手術で症状は改善したものの、

体調は全盛期の50%ほどしか戻っていない。

腹から歌えず、足がつったり、数年前から緑内障も患っている。

「そういう障害に、いちいち文句を言ってもはじまらない。

やりたいように生きてきたし、今もやりたいようにやっているんだから

全部受け入れてやろうと思ってます。

とにかく、病気中心の生活から、

音楽中心の生活にようやく戻れたのですから、

文句はありません。ステージで目が合うと、仲間たちがうなずき、

ほほ笑んでくれるのだから、それだけで最高ですよ」

目指すは死ぬまでステージに立って歌い続ける「歌バカ」。

今のバンドで全国ツアーをやったり、パーキンソン病の

ミュージシャンを集めてバンドを組んだり、

故郷の沖縄での凱旋ライブといったプランが山ほどある。

「今思うと、パーキンソン病は『調子に乗りすぎだ。

いい加減にして、人の基本に戻れ』と神様が与えてくれた試練。

遅ればせながら、ようやく大人になれた気がします。今が出発点、すべてはここから」