こんにちは。御殿場の甲斐です。
今日も気持のいい気候ですね。青空が爽やかです^^
体験をお話させて頂くことって、すっごく難しいですね(笑)
守秘義務が邪魔をして、一般的な文章になりにくいし、こういう人はこうである という断定的な文章にもなりやすく、誤解されてしまうのではないだろうかと、葛藤しています(笑)
さて、皆さんは、誰かの 一言 で、酷く落ち込み、その言葉に左右された経験はお持ちではありませんか?
ひきこもっている人達のお話を聞かせてもらっていると、誰かの言葉を引き摺っている方 多いですね。
そういう私も、確かに引き摺ってしまう言葉はあります。
その言葉は、痛みを伴い、重く胸の奥でくすぶります。そして、決して人には言えないものとなっていってしまったとき、人はこころを閉じてしまうのではないでしょうか。
口に出すことが出来れば、案外こころに残らないような気がしますが、誰にでも言えない事も多く、親しい人には特に言えないことも多いですよね。(笑)
そこで、ちょっと宣伝で、、カウンセラーの役割があるんですよね。(笑)
私が出会ったある少年は、中学の先生に「お前の目は魚の腐ったような目だな。」と言われ、学校で人との会話をしなくなったようです。
その少年は、確かに優しいおとなしい子どもさんでした。バリバリ前に進むタイプではありませんでした。
そんなことを言われた時、怒り、口に出せるタイプでしたら、そこで、終わりに出来るのかもしれません。
「傷つくなぁ~」と言えれば、少し、違うかも?
しかし、言い返せなかったり、その言葉をまともに受けてしまうと、こころを閉ざし、何年も引き摺ることになるのですね。
では、周りが言葉使いに気をつければいいのでしょうか?
それも、少し違いますよね。
確かに、言葉の使い方は大切なことですが、それに囚われすぎている人、多くないですか?
ま、いいんですけどね(笑)
世の中は、あなたの都合で動いてはいません。
色々な人がいますよね。
相手がどのようなタイプなのか分かって話すことは、大切なことだと思いますが、気にしすぎるとおかしいことになります。
言葉の使い方や、言い回しも確かに大切かもしれませんが、それよりも、関係のあり方だと、私は思います。
ということで、脱線してすみません^^;
そのおとなしい少年は、高校時代、学校では殆ど誰とも口をきかなかったそうです。
幸い?不登校にはなりませんでしたが、こころを強く閉ざしていました。
そんな少年と、お話していくうちに、色々なことを話してくれるようになりました。
私が、お話しを聴かせていただくとき、気をつけていることは、「わからないことは、分からない」ということです。
歳を取っていても、分からないことは分からないのです。
分からないことは、分かった振りをしないで、聞いてみることですね。
信頼関係を作ること。 言葉は確かにコミュニケーションツールではありますが、最後には”こころ”なんですよね。
この少年も、酷いリストカッターでしたが、リストカットは止めて働きに行くことが出来るようになりました。
受け入れるということは、甘やかすこととは、違います。
ダメなことはダメと、はっきり伝えることもとても大切ですね。それが無ければ、信頼関係は築くことは出来ませんよね。