とあるブロガーさんのブログを見ていて頭に浮かぶ言葉の話をしましたが、もうひとつ過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉も浮かぶのです

何でもやり過ぎはいけませんという論語由来の諺ですね



日常をエンタメ化してSNSで発信することも

家族のプライバシーを発信することも

利益に目が眩みご縁のあった方々に不義理を働くことも


人間誰しも自己顕示欲や承認欲求、その他の様々な誘惑に負けて「少し位」ならそういうこともあるかもしれませんし

モラルに反しないギリギリのところなら逆に人間臭くて共感を得るかもしれません


ですがやり過ぎては共感の範疇を超えてしまいます


日記やエッセイブログというジャンルの良さは発信者も読者も感情の共有・共感できることがその良さであり、発信する目的でもあると思うのです


ではモラルに反していたり、大袈裟で嘘などがある話に人は共感するでしょうか?

よく芸人さんなどがサービス精神で話を盛るという行為をされますが、あれは見る側もエンタメとわかっているから成り立っているのです

ですが日記やエッセイという形式に盛る必要があるでしょうか?そもそも日記やエッセイはエンタメでしょうか?


答は否です


盛った話を瞬間的に「面白い」と思ってもらえても継続的に大袈裟な話を続ける人に対して一般的な感覚を持った人は不信感を抱くと思います

もし盛った話をどうしても書き残したいのであれば「こちらは実在の出来事を元に作られたフィクションです」と注釈をお入れになる方が宜しいかと思います

そのようにすれば創作物としてエンタメ化も可能でしょう



現在SNS発祥で継続的に書籍化・映像化され人気がある作品は作者さんの誠実な人柄がうかがえるものばかりです

そしてそういう作品は家族の事や関わりがある人、物をモチーフにされるときは細心の注意をはらって描かれてることも感じられます


日常系を題材にして人気を得る人たちは

周囲に対する気づかいと、笑ってもらえるよう料理する腕がある人たちだと思います


世の中で受け入れられているものには理由があります

そして反感をかうのも然りなのです




※2024年2月22日8時00分 一部加筆致しました