YouTubeのジャンプ公式チャンネルでジョジョの奇妙な冒険のアニメを第一部から放送が始まったのは半年以上前だったか。

 

図書館で『岸部露伴、ルーブルへ行く』を読んだら面白くて、そのままジョジョの漫画(文庫本)を一気読みしていたが、6部の途中で挫折。

1回目の挫折は、ケンゾーのドラゴンズドリームの戦いあたり。

そのあとリベンジしてなんとかケンゾー戦を超えるも、またスタンドバトルが意味わからなくなって2回目の挫折。

 

6部まで読み終わってしまったら、“一巡”してしまう。

噂によると、6部では主人公チームが全滅してバッドエンドと聞いている。しかも今までの物語がなかったことになるとかなんとかとも。

 

私はそんなの見たくない!

 

 

 

そんな折のアニメ一挙放送である。

漫画と同じく、1部、2部、3部、、と面白さは上書きされ続けた。

それぞれの部にそれぞれの面白さがあり、どの部もよい。しかも声優はやはり素晴らしい。

 

 

そして、運命の6部。

 

またしてもケンゾー戦は離脱しかけた。アニメでもようわからんのよ、、このへんのスタンドの戦い。

その後も正直よくわからない戦いがあったけど、何とか欠かさず視聴しいよいよメイドインヘブン。

 

最終回含むラスト3話は、まるでメイドインヘブンの攻撃を受けているのではないかと思うくらいに一瞬に終わった。

 

そして、思ったより悪くなかった。

 

 

 

6部、いいじゃん…

 

最初は一巡して、これまでの物語が意味のないものになってしまうことに痛みを感じて憂鬱だったが、この一巡はそういう感じがなかった。

 

 

むしろ、一巡したとしても、出会うべき個体は出会っているのである。

 

そう思うと、あの時別の行動をしていたら今とは違った人生だったかもしれないだとか、今は疎遠になった人たちとの関係性とかも、深刻に考えなくてもいいのかもしれないと思える。

なんかこう「来世ではちゃんとやろうな」という感じというか。

 

 

 人の出会いとは「重力」であり 出会うべくして出会うものだからだッ! 

 

 

 

ジョジョの好きなキャラ

ジョセフ(2部)、花京院、ミキタカ、吉良吉影(川尻浩作)、ブチャラティ、ミスタ、ギアッチョ、アナスイ、エフエフ、徐倫、エルメェスニキ

図書館で目当ての本にたどり着くまでに目に入ったエッセイ系の本棚。

 

パッと目に入ったのが"南木佳士"

 

 

 

多分大学生の時に小説読むブームだったときに借りたような気がする『医学生』。

すごく読後がよかった気がする。

 

その南木佳士だ。

 

彼は小説以外にもエッセイを書いていて何冊が読んだことがあった気がする。

 

「また読んでみようか」

 

そう思って手に取り、目的の本に加えてカウンターに持っていった。

 

 

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私がエッセイにはまったのは中学生の時だった。

 

音楽雑誌『PATiPATi』に掲載されていた新藤晴一『自宅にて』

原田宗典『日常ええ会話』

 

この2つにはまったのがきっかけだ。

 

 

どちらもリズミカルな言語表現で身近な出来事を語る。


 

 

仮説:男性のエッセイは面白いけど、女性のエッセイはなんか素直に入り込めないのは、自分が同性だからある種の生々しさを感じるから

 

エッセイが面白いといえば、又吉直樹、穂村弘などもおもいつく。南木佳士もそう。

しかし女性のエッセイはなんかウェットな感じがする。

 

 

とふと思ったけど例外も思いつく。

さくらももこ、向田邦子あたりのはなんか読めるような気がする。

 

 

 

 

エッセイの面白さは、出来事や話題と自身を俯瞰したところにあると思う。

 

自分の行為を背後から観察している感じ。

男性はその感じが自然に感じる。

 

 

女性のエッセイは、その人と文章が一体化しているように感じることが多い気がして、そのへんが気持ち入り込みにくい。

 

 

 

私もこのようにブログを書いているが、やっぱり俯瞰した感じに書くのは難しいと思う。

 

今はポリコレ厳しいから声を大にして言いにくいけど、男性って自分の悪い点を面白可笑しい方向、ネタの方向で昇華させても身体にダメージが少ない気がする。

 

主語を”女性は”にすると主語デカ構文になるのであえて”私は”と書く。

私は、自分の悪い点、失態、醜さ、どうしようもなさを文章に書こうとすると今はシリアス方向にしか表現できない。

 

かわいそうな私として文章化する方向になってしまう。気分の問題だと思う。

 

 

それを、「そこらへんにいるある適当な人間の一幕」として喜劇的に書けるようになったら私もステージが変わったといえるのではないか。そしてこれは男性性と女性性の体現の違いのように思われる。

ふとそんなことを思った。

 

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私自身のブログを検索したら「南木佳士」でヒットしなかったので、寝る直前だけどブログを書いた。(『医学生』を読んだ時の記録を残していなかった後悔)

 

今週は社内の対応でしんどかったので早く休もうと思ったのに記録の方が大事なのだ。

なんとこの年にして、また新たな趣味を始めるの巻。

 

 

ステンドグラス。

 

 

実は数年前にも、ステンドグラス教室の見学に行ったことがある。

前に住んでいた場所の近くにたまたまステンドグラス教室があったのだ。

 

 

そもそもなんで私がステンドグラスなんぞに関心があるのかというと、

5年くらい前におひとり様で週末にホテルに泊まって非日常を味わうというムーブをしたときに泊まったホテルが全体的にアールデコなインテリアで統一されており、たまたまその部屋に置いてあったステンドグラスに目を奪われたからだ。

 

思わず写真を撮ってたまに何かのアイコンにしたりするくらいには気に入ったので、後日、ホテルにこのランプのメーカーや品番を教えてほしいというメールをしてみたが、、、

 

音沙汰なし!

(たしかに怪しいメールかもしれないけど、、、

 

まじか、ホテルってこういう客からのメールに丁寧に返信するものかと思ってたのに。

また同じメールするのも迷惑かと思い、そのホテルへの連絡は二度としなかった。

 

 

それでもあのランプが欲しい私は、ネットで探したりするがなかなか見つけられず。

いっそのこと、オーダーメイドで作ってもらおうと考えてステンドグラス工房を探していたところ、工房が近所にあることを知り、門をたたいた。

 

 

そこは工房兼教室になっていた。

オーダーメードで作ってもらいたい話を持ちかけたが、なんか知らんが自分で作ろうと思えば作れるとかぬかしやがってステンドグラス教室に入らないかと勧誘してきた。

 

いやいやいやさすがになんか難しそうだし教室に通うのはちょっとハードル高いなと思って断ってきた。(ちょっとやってみたい気持ちはあった気はするけどさすがにいろいろ教室通いすぎだろと)

 

相変わらずオーダーメードの話は真剣に聞き入れてもらえずもういいやとなった。

 

 

そして2026年、春~spring~。

休日にたまたまぶらぶらしていたときに、カフェの窓際にたくさんのステンドグラス作品が飾られているカフェを発見。

その場所にカフェがあること自体は認識していたが、その日はたまたまステンドグラスが目に入って、これまでのステンドグラスにまつわるあれこれを思い出して吸い込まれるように中に入った。

 

店内を眺めると、カフェスペースの近くでステンドグラス作品の販売もしているみたいだった。

店の人に私とステンドグラスにまつわる話をし、予算感や製作期間を確認しながら、じゃあオーダーメードするかな、、と思っていたところ、「なんだったら自分でも作れますよ?」と言われた。

 

 

出たッ!!!!

必殺「自分でも作れますよ?」攻撃ッ!!

ステグラ界隈は素人をそそのかして自分で作らせるのがお作法なのかッ!!??

 

一瞬ひるんだが、この時ばかりはやぶさかではない感じがした。

まずは体験できますよとも言われた。

 

うーん…

直後に予定があった私は一旦店を出た。

 

―――

用事を済ませて、ごはんを食べ、その間ずーーーーっと体験に行くべきか否か考えていた。

 

また新しいことを始めようとしている。

本当に続けられるのか?できるのか?

 

頭の中ではもう決断は終わっているのに、体が動かないという感じ。

 

店の周りをうろうろうろしながら思考をぐるぐるさせ、もう考えてもどうしようもないところまで来てようやく、私は再度店を訪ね、体験予約をすることにした。

 

 

作業自体は当然初心者では難しい部分もあるにはあるあるが、それはそれでやりがいもありそうだと感じた。

 

あのランプを作ったら教室辞めますけどね的な話をしつつ、わたしはステンドグラス教室に通うことにしたのだった(でもうっかり長いこと続けるのかもしれない。私とはそういう奴だ)。

 

 

さすがYoutube…ステンドグラスのいろんな情報発信してる人いるのね、、、

すんごい参考になります。

 

 

下のが体験で作った小さいもの。

 

上のが教室入って1作目。

いびつだがまあこんなもんでしょ。

 

 

めちゃくちゃ言語化能力高くなったところで、物の本が多少読めるようになったところで私は欲しかったものを手に入れた気はしなかった。

 

最近Xでこんな投稿を見て思わずブックマークをしてしまった。

 

 

 

 

 

床に落ちてる抜けた髪、さっき切った爪——これらからほしいものがどんどん生まれたらどんなにいいだろうか。

 

 

あきらめては捨てきれぬまま

いつか願うわ ぼくじゃない幸せを

人間ビデオ/ドレスコーズ

 

なんかふと歌詞の一節が頭に浮かぶ。

 

 

言わなくてもいいことを言いたい

回る!世界が笑う

虹/フジファブリック

 

今年の初めは、なんかいい気分だった気がする。

 

しかし今はどうだ?

 

疑心暗鬼、不安に苛まれて自滅した。

 

 

今さらながらD.H.ロレンスの『黙示録論』をちょっと読み始めた。購入している本なので手元にはあるものの、例によって積読〇年。翻訳はもちろん、福田恆存。

 

あの福田恆存の思想にとてつもない影響を与えた人物&その書籍である。

 

「現代人は愛しうるか?」とつけられた副題の意味するところとは。

 


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あと、年末年始は読書を頑張ろうと思って図書館から借りてきた本のひとつ。

 

『「空気」と「世間」』

著:鴻上尚史

 

たぶん浜崎洋介が表現者塾でちょろっと紹介してるのをメモしてたやつ。

結構古い本(2009年)だった、、、あれですね私のブログも初期の初期の頃に出た本だ。ブログ更新全盛期というか。

 

 

 

まだ冒頭部分しか読んでいないけど、この本の主張のひとつはこう。

 

自分に関係ない世界のことを「社会」と呼び、自分に関係のある世界のことを「世間」と呼ぶのではなかろうか?

 

私は自分が関係ありそうな世界を広く捉えがちなので、世間を気にしているようで社会を気にしているのような気がする。

いや、それは私の認識の自意識過剰だろうか?

 

 

よく女性は道を塞ぎがちというのを見聞きするが、それも女性性的には世間がものすごく狭いんだと思う。

女性性的に世間というのは、数人程度…もしかすると家族+α程度なのかもしれない。

 

 

 

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ロレンスの思惟するとおりなら、私の潜水期間は、また長い。

一巡した世界でお目にかかりましょう。

今日の私は一人になりたい。

 

今日は便宜的に会社の御用納めだった。

 

 

終業時間後、懇親会なるものが開催されていた。

 

参加は自由とのことだったが、私は最初から不参加の意思を示していた。

 

 

 

帰り際、懇親会会場を通った。

わいわいガヤガヤ

 

先日のM-1をみんなで見て笑っている。

 

 

・・・・

 

 

 

今日の私は一人になりたい。

 

 

 

そういえばなんでみんなでお笑いを見るのが苦手なんだろう。

 

ライブも一人で参加するのがいいのはなぜだろう。

 

 

 

多分、ノイズなんだと思う。

 

自分とバンド、自分と芸人という1対1の関係に浸りたいのに、職場の人がいるとそれができない。

ほかの人の感想などが入ってくる。

 

 

全然知らない赤の他人が周りにいるときはノイズにならないけど、職場の人やちょっと知っている人のそれはノイズに感じてしまうようだ。

 

 

 

外はかるく雪が降っていた。

 

 

家に帰ったらジョジョの配信を見る。

今日は3部のラストまでイッキ見である。

 

ジョジョの奇妙な冒険第3部 スターダストクルセイダース 完結。

※先週配信分の6話を全部見ていないけど。

 

 

なるほど、全盛期承太郎の無敵感がよく言われるけど、これはたしかに絶対に負けない感じする。

 

漫画で見るとすごい長い戦いをしてるように感じるけど、アニメーションだと一瞬で終わってしまうような気がする。

あれ?もっとDIOと戦っていなかったっけ?

 

 

 

そして花京院、一瞬すぎるよ。

 

今回アニメ見てさらに花京院ファンになりました。

 

 

花京院生きてたら承太郎の絶対運命変わってたと思うくらいに、3部メンバー良い奴。

 

 

周りのメンバーが承太郎を察する能力高くて基本無口でも戦えたけど、4部以降は承太郎を察するキャラがいなくて戦い方が孤独だよな、ってコメントをどこかで見たけどそれはたしかにそう。

それくらいに主人公承太郎って感じの3部でした。

 

 

 

何かを嗜むときは、一人で。

これが人生の鉄則である。

バレたのか…?

 

休日にも仕事のような考え事をしていることが。

 

 

 

今日、労働条件変更の打診があった。

 

ざっくりいうと、「あんたの働き方は休日にも仕事(勉強)をしてるような感じだから、会社としては放っておくわけにはいかねえ。」って話さ。

 

 

何もすごいことはなくて、単純に労働時間長いだけなんだよな。

ほかの人よりも単純に長時間思考しているだけ。本当にそれだけ。

 

 

一人暮らしで生活が“終わってる”からこそできる話。

 

家族がいたら無理だと思うし、家族がいるならこんな働き方は無理に勧めない。

あなたはきちんと人間らしい生活をなさい。

 

 

 

裁量労働制なんてやったことないから、試しにやってみるのはありだろうな。

 

自分がよかれと思って動いてもいいことがないのだから、周りに流されておくのもまあ良いでしょう。

ザ・ギース 卒業式

ジグザグジギー 喫茶店

M-1

コント公演 『 イミノウム 』 のお知らせ (11/17更新)|シアター・コントロニカ

 

 

こちらの公演を見てきました。

 

 

小林賢太郎の公演を見に行くと必ず最初の方に「果たして今日の私は公演の面白ポイント(仕掛け)に気づけるだろうか?」というプレッシャーを感じる。

 

開幕すぐに小林賢太郎が登場し、作品のちょっとした解説。

 

 

ベーリング海の上の方に、小さな島が二つ並んでいる。

片方の島の名前は、ラトマノフ島。

別名:明日の島

片方の島の名前は、リトルダイオミード島。

別名:昨日の島

 

両島は互いに目視できるような距離であるが、時差は約20時間——両島の間に日付変更線があることから、明日の島、昨日の島とも呼ばれるようになったようだ。

 

 

 

何の変哲もない単なる島の話であるが、そこに、意味づけの線が引かれていることによって、明日、昨日という概念が適用されていることに、何かしらのセンチメントや浪漫のようなものを感じてしまう、私みたいな人間もいる。

 

 

 

 

はじめに、観覧者にこの世界観を紹介するような導入コント「意味変更線」

 

開始早々、「なるほど、そういう世界観ね。」と思ったところで一安心し、あとは劇の進行にそのまま身を委ねることができた。

 

そして最終コント『イミノウム』(意味の有無)

 

 

 

 

余談だが、ほんと最近の私は以前に比べて準備をしなくなった。

おそらく、もう人生に驚きがないことをわかってて、せめて私が準備しないで事に臨むことによる“飛躍”を期待しているのかもしれない。

 

 

イミノウムとは「空」の結晶。

 

このイミノウムの周囲の人間は意味を奪われ、、

 

 

私は意味付けを重要視しているタイプの人間である。

自分に起こることには何かしらの意味があるとおもいこんでしまう。

 

 

補足しておくと、私の外面と内面は結構真逆な気がしている。ブログなどに文章書くとこういう感じだけど、職場での振る舞いはサバっとしているような…(なぜ曖昧)。

 

 

仕事のことは仕事の文脈に応じた意味づけをしているし、それは自然なんだが、仕事ではない環境においては文脈がない(近代人の特徴)ので過剰に意味付けをしないと自我が崩壊する気がするんだよな。分裂症、離人症というか。

 

 

でもなんか、自己を抑制するとか、鬱にさせるような意味づけは過剰にする必要はないってのは最近思う。

昔はそういうことも律儀にやっていたけど。

 

 

意味があるのかないのかでさえ私が独断と偏見でやってるんですけどね。

ここぞというときには意味に自覚的になってしまう。

 

 

 

配信チケットを買ったので、もう一回見よう、イミノウム。

 

 

2025年12月20日追記

意味がなくなった世界で、写真を撮ろうと思って撮らなかったシーンと、自然と写真を撮るシーンとがあるんですよね。

 

写真を撮ろうと思って撮らなかったシーンは、イミノウム発見直後にイミノウムを発見したことを証拠として撮ろうとした場面。

 

自然と写真を撮ったのは、ラストシーンでみんなで居酒屋山嵐に向かっているその場にいた人々を背後から撮ったシーン。

 

意味を感じず撮った写真の方が後からよく見返す説あるよね。