科学の進歩とその先に置くもの | 月光る一人舞台に揺れるブランコ

月光る一人舞台に揺れるブランコ

たまには、私だって一人っきり月の下に光るブランコに揺られながら……、しんみりとしていたい時があるのです。飄々と生き、わっさわっさと過ごす日々の中に。

 膝の新しい装具を装着して立位歩行の練習中、装具がずれたので外すと迷路を深く掘り込んだような跡が足に残っていた。

 サポーターから補装具へ、松葉杖から車椅子へと膝の代わりや足の代わりをしてくれる医療福祉用具に助けられて今がある。

 車椅子はタイヤの空気入れに肩や手が耐えなくなったところにノーパンクタイヤ式車椅子と巡り合い。

 松葉杖も昔の木製でなく細かく高さの調節ができるステンレス製になり。

 先行く歩行器に掴まって進むものから自分の体の一部のように一緒に右・左と進む歩行器そのものが歩いているように見える様式のものになった。

 浴槽に渡し足湯のように温まりながら体の清拭をする浴槽ボード。

 肘掛を縦に動かし跳ね上げて90度横から座ったり立ったりができるシャワーチェアもある。

 医療や福祉の分野では科学の進歩に驚き、恩恵を受けつつ贅沢にも福祉自助具の充実を見ない時代の不自由さに心地よさを込めた思いを馳せる時がある。

 痛みに耐え、軋みを起こして関節をずらさないように一生懸命筋肉をつけるためのリハビリをした。

 そこまで行けば手すりがあるとか、そこから先はその日に確保できた車椅子で移動ができるなど体の助けとなるものが遠い位置にあったり数が足りず確保できなかったりしたその頃の遠さや
不自由さの中での創意工夫は楽しかった。

 求める前から、不自由な動きをする体を福祉関係のアドバイザーがすべて見越して提案してくれるプランや自助具の紹介にここまでのことやものが本当に必要なのかなと疑問を抱くことがあり、万歳よろしく嬉々とできない自分がいる。

 これまで進行性として右肩下がりの可動域や体力や持てる力と範囲の中で暮らし続け、今日と言う日からの自分の体の先を見越して物事を考えたことがなかったなと気づく。

 勇み足をしては天井を見ることを繰り返し、体に謝るもののやっぱり今も動きの限界を知りたいしその限界をほんの少し超えたところに心の指標を定めたい。

 と、格好いいことを言ってまた痛い目を見るかもしれないけれど。

 梅雨が明けたことですし。

 夜も明けたことですし。