『人生を坂道に例えるなら』 | HI-D オフィシャルブログ 「2 Da New Area」  Powered by アメブロ

『人生を坂道に例えるなら』

人生を坂道に例えるなら....

いつも車で行くジムに自転車で行ってみた。

車で5分くらいだけど、登り坂がかなり厳しいからいつもは車で行ってるけど

いつもより汗もかきたかったし、ちょっと追い込んでみようと思ってあえてキツイ方法で行ってみた。

行きの登り坂は想像以上にきつかったけど、下りはあっけないほどスイスイで.....なんか色々考えてしまった。

自宅に戻ってきて思った事書いてみます。

 

例えば登り坂が(良い時期)とし、下り坂が(落ちている時期)と捉えるなら
登り坂はとても苦しいけど自分に実りあるものをつかむ為に必要な修行期間となる。
一方、下り坂は一見気持ち良く流れに身を任せ走っているようだが、それは<怠け>であり下降しているのに気づいていない状態とも取れる。

逆に登り坂が(苦しい時期)とし、下り坂を(達成し始め物事は上手く転がりだしている時期)と捉えるなら、登り坂は苦しい日々の連続で行く先の見えない苦悩の時期に感じる。
その反面、下り坂は今までの苦労が身を結び自分の思っていたような道を快調に走っている事になる。

 

何が言いたいかって言うと、所詮人生はどうとらえるかなんじゃないかなって。
<苦しい毎日>ととらえればとっても苦しいし、<良い未来を作る為に必要な時間>ととらえれば希望を持って進める。

 

みんなは今の状況をどうとらえますか?
嫌な事がまるっきりない日なんてないのかもしれないけど、人生を少し大きく捉えて現在の自分がどうなのか、そしてどうあるべきか考えると少し楽になる気がします。

そして人生を<前向き>にとらえ続けた時に思わぬ<奇跡>や<幸運>を引き当てる原動力になるんだと感じています。

だってほとんどの人は同じ技量があるなら辛そうにつまらなそうにしてる人より楽しそうに生き生きと取り組んでいる人に仕事ふるはずだからね。

 

先日のトークショーでブラザーコーンさんが言ってた
死ぬ気でやったらホントに死んじゃうから....死ぬ気でなんかやっちゃダメ。』って
本当....その通りかもしれないですよね。
だから『死ぬ気でやらず、ほんの些細な<幸せ>でもちゃんと<幸せな瞬間>と受け取れる事』が大事なのかもしれませんし、僕はそう感じました。

それは決して『ラクな事に逃げる』のではなく『少しでも楽しくやる』という事。

僕は『No Pain No Gain (痛みなくして何も得られない)』の考えは好きですが、それはあくまで『自分を追い込んでまで奮い立たせ、目標を達成する』という意味で、決して『目標を達成するには嫌な事でも我慢してやらなければいけない』の意味ではないと思っているからです。

ほんのちょっとの<考え方の違い>かもしれませんが、とらえかたは大きく異なるし、その考え方によって精神的な負担は大きく変わると僕は思っています。

 

今の日本には<楽しいこと>も<楽しい考え方>も足りない気がします。
欧米や他の国の人達は<楽しむのが上手>に見える時があります。
それはある意味”誰がどうだから”ではなく”自分が感じる事に正直に”生きているからではないでしょうか?

僕はステージの上から人達を見る事が度々あります。
フィリピンでライブした時もそう思いました。
国民のほとんどが貧困層と言われるフィリピン。そんな街に生きている人たちでもライブでの盛り上がりは日本のみんなよりとても上手で楽しそうに見えました。
向こうでは全くの知名度がない僕のライブにも<楽しければYEAH!ってなれる>感覚や<知らない人の歌でも感じるものがあればそれを表現して行動できる>感覚はとても見ていて嬉しかったし楽しかった。


日本では知らないものに対しての身構え方や捉え方に壁を感じる事があります。
でもそんな『壁』は無くしちゃえばもっと楽しいのにって思う時があります。
日本人がダメって言いたいんじゃなく、もっと楽しめば良いのにってね。
他人からの見え方やどう思われるかなんてどうでも良いんじゃない?
某CMじゃないけど『バカやろう!(バカになってみよう)』ってね。
そう、『やっちゃえニッポン』てのありましたね。
人からどう思われても『好きに楽しめる』事にもっと素直になれればこの国のエンターテイメントも人生ももっと楽しくなるって思います。

 

長々と書き殴りましたが、一人でも多くのみんなが楽しく前向きに生きていける環境を心の底から願います。
悲しい事件や出来事、悲しい偏見に差別。
少しでもなくなれば良いな....。

 

平野英雄 a.k.a. HI-D