Def Jam Recordings | HI-D オフィシャルブログ 「2 Da New Area」  Powered by アメブロ

Def Jam Recordings

Def Jam プラウド

「CDが売れない」時代と言われるようになってどれくらい立つだろう。
オレがデビューした頃はまだ音楽業界もそこそこ元気で、どこのレーベルからデビューするかで随分と自分の行く末が決まったかのような風潮すらあった。
どこのレーベルから誰がCDを出すか....
一人のリスナーとしてもそれが一つの楽しみでもあった。
それだけ当時のレーベルはレーベルカラーや特徴があったものだ。
米国HIP HOP名門レーベル『Def Jam』。LL COOL Jや最近ではJAY-Zを輩出したとしてヒップホップヘッズで知らぬ者はいないであろうこの名前を口にできるアーティストが日本には6組いる。
{AAF34252-32B1-40FF-8828-7FA43DBFB429:01}


DABO, S-WORD, SPHERE of INFLUENCE, AI, HI-D, TOKONA-X。(デビュー順)
ソロで契約して作品を残したのは俺を入れて6組。
他にもNITRO MICROPHONE UNDER GROUNDとCRYSTAL MOVEMENTの2組もいる。
(実際はこの後にもTERIYAKI BOYZとSoulJaもDef Jam Japanからりリースしているが最大級のリスペクトを送りつつここではあえて苦楽を共にした~2005年までのメンバーで話しを進めよう。)
輝かしいヒップホップバブル最終期だった。
Hip Hopを知らなくとも誰もが知ってるメンツばかり。
今じゃ考えられない予算で制作されたMVやアルバム。
契約後はNYの本社での挨拶&撮影だった。
オレの前に契約したアーティスト達から聞いてはいたが、すべてが想像以上。
マライヤキャリー, Diplomats, Beanie Sigelとのスタジオセッション。
日本では当時まだ誰も聞いてない出来立ての新曲を本人達とチェックしたり。
ハンパない新人MCのレコーディング現場にもお邪魔した。
JAY-Zのプライベートスタジオにも行ってご本人と合流。
ポカ~ンとしてる間にスタジオを出てJiggaのリムジンでNBA観戦。
Def Jam会長の好意でコートから4列目の目の前。
ハーフタイム中には当時ウワサが出始めたばかりのビヨンセも隣にいた。
後日、Jiggaに言われるがままにRocaWearオフィスに行くと大人2人じゃないと運べないくらいの段ボールに満載の品々。
どれも見た事もないロカウェアの数々だった。
Phat Farmのお店に行けば話しがきていて選んだアイテムは全部タダになった。
同行者のマネージャーの分までだ。
思い描いてはいたがありえない待遇だった。
本社に行けば受付嬢のHOTなレイディース達から秘書のオバさんまでフロアー中の人が俺の名前をわかってて大半の人がビデオまで既にチェック済みだった。
R&Bグループ112のA&Rの女性スタッフは俺が泊まってるホテルにまで来て
「あの子達(112)、貴方のprod.するって言ってたわよ。よかったわね。」
とまるで映画かドラマの1シーンのような台詞を残してドラマチックに去って行った。
結局色々な思いから112とのセッションは俺が断っちゃったんだけど、俺にとってトップアーティストが引き受けてくれたのは大きな自信につながった。
(当時の社長からは断るなんてバカだと言われたが後悔はまったくしてない)
なんていう<エンターテイメント大国>なんだとUSAのパワーをあらためて喰らいまくった。

あれから10年。あっという間だった。
{A478002C-19E4-4D0F-8362-B5715CCD8457:01}


AIは言わずと知れたトップアーティストに。鮮烈なデビューを飾ったスフィア(ある意味一番"Def Jam"らしいアーティストだったかもしれない)は、ビジネスマンとしても活躍中。DABOとS-WORDはN.M.U.のメンバーとしてもすでにリビングレジェンド級、トコナはあっという間に天国に行ってレジェンドMC(2004年11月没)になってしまった。

ユニット/クルーとしてN.M.U.やクリスタルムーブメントがアルバムをリリースしているが、その他のアーティストに関しては今回話している
『Def Jam』プライド
とは関係のまったくないアーティストだとオレは認識している。
(注:ちなみにヒカルちゃんはアメリカのDef Jamとの契約だったはずなので....)
正直HIB◯◯Iも◯村◯幸氏もアーティストとして否定しているのではなく、あくまで俺目線で「コレはDef Jamじゃないだろ~!?」って事だけである。

色々書きなぐったが
それでも俺らは"Def Jamアーティスト"として誇らしくまっとうしたかった。
オレらはこのブランドを死守したかった。
憧れの『Def Jam』。
あの小豆色のアナログジャケの針の先に自分の名前があるなんて本当に光栄だった。
そしてもっと本国のメンツと渡り歩きたかった。
そう....できるはずだった。

それなのに

それなのに

あのDef Jam Japanはもうない。
少なくとも俺らが望んでいたカタチでは到底ない。

数奇な運命を辿った希望のブランドネーム

今も誇りを胸に秘めてひた走るのみ.....

ありがとうDef Jam!!!! そして30周年おめでとうございます!


今はもう音楽業界も随分変わっちゃったし,俺もその分年を取ったけど

まだまだ情熱は誰にも負けない。

Def Jam Japanはもう変わってしまっていても俺らの中にあるから

これからもがんばって

今度はレーベルと言う単位じゃなく

音楽を守れるように戦います

みんな応援よろしく!!!
チョキ


長々と書いてしまいましたが、最後まで呼んでくれたみんなに感謝
m(_ _)m