なぜ洋ゲーキャラは女ゴリラが多いのか?
「それに対する反論が破壊力ありすぎるワラワラ・・・・」なんてセンシティブ?な話題の投稿を見つけた。
その破壊力あるという反論では、スマホゲーを吊し上げて日本文化は性欲全開で画面のキャラにヨダレを垂らして自慰行為するだけとか、海外クリエイターは芸術の意識が高いので内面やリアリティを重視している、なんてことを書いてたね。
論点おかしいよね。
造形技術の指摘に対して内面の美を主張してるし。
これって内面の美ではなく、表面の美の話しだよね?
あのさ。
芸術作品とか言うなら海外だってハリウッド映画の主人公はたいがい美形やん?セクシーじゃん?
物語の設定上あえて容姿が劣ったキャスティングはあったとしても、俳優は個性的で映える人物を起用するもの。
RPGの主人公でそれも自分でキャラクリエイト可能なら当然カッコよくするよね。できないと不満だよね。たとえリアルの自分を投影したとしても、多少なりとも美化するものだろう。
本当にありのままの自分や、一晩で忘れてしまうほど素朴な容姿の主人公で芸術やエンタメが楽しめるだろうか?
コンテンツが何をウリにしているかによるけど、議題はビジュアルデザインの指摘なのだから屁理屈なしでただ見た目のハナシ。
FFでルガディン族が主人公のナンバリングとか売れるワケがないよね。
日本文化だのなんだの揶揄されるけど、映画もゲームも芸術作品である前に商業なのだ。それは海外だって変わらないよね。
小説なら主人公を俯瞰から見るものだし、容姿への劣等感が魅力や共感を生んだりする。
でもビジュアルを楽しむコンテンツで劣等容姿がより芸術性を高めるなんてのはあり得ない話だよ。
汚く描くにしてもキレイに染めるものだ。
あと独りよがりでおよそウケないことをあえてやるのも、創作活動における自慰行為的だと思うのだが?
それに海外でも自国メーカーのゲームキャラやキャラクリエイトのブサイク加減にクレームの声はあるよね。
表面的な美の認識が劣っているだけで、アジアゲーみたく高度なキャラクリシステムを作れないのでは?
あのスカイリムだって有志のMAD使わないとイマイチだったでしょ。
日本のアニメ文化が世界的ブームなことだけでもそのアジアの美観は評価されている。
量産型キャラばかりとか、日本人の異常性欲云々はご指摘の通りだけどね。でもそれはデザインセンスとは別の話しだよ。
欧米だってアジア目線で見ても美人がいるのに、ゲームでは世の中にはいろんな容姿のニンゲンがいるんだと説教くさくゴリラ化する感じである。
デトロイトみたく映画的にドラマを追従する作品ならまだしも、RPGなどのなりきり型のエンタメでは夢を与えてほしいよね。
洋ゲーは愚直にモデリングの美を学ぶべきかな。わざとゴリラにしてるならほんとやめてほしい。
わたしは友達を見た目では選ばないけど、ゲームのキャラは性格より絶対に見た目で選ぶ。
世知辛い世の中、みんなゲームの中でくらい美しくなりたいんだよ。
ふと、某小島慶子さんが「日本のアニメはモデルばりにスタイルのいい美女ばかりで、それが子供の美意識を洗脳している」とか、自身はスレンダー熟女写真集を出しておきながら発狂していたこと思い出した。
ずいぶん前にブログでも書いたけど、ンなわけない。
首が長いか、体型がスリムか基準は違えど、美を求める本能は普遍のもの。
黄金比を感じるのは教えられたり洗脳されたからじゃないでしょ。
ま、余計な話しで。