時間が経過するにつれ、被災地の状況が次第に明らかになりその凄まじさに驚愕する。

また一方で、こんな激甚災害にもかかわらず避難されている人々の誠実さ、自分が大変なのに他人を思いやってる事など、別の意味で世界を驚愕させている。

これには今度は自分自身が驚いた。他国ではこんなときに我れ先と物資を奪い合う物なのか。


日本にはいにしえより「恥の文化」というものがある。

お隣の国、韓国でよく死亡した人の両親の姿を目にするが、私たち日本人からすればその狼狽の様子が尋常じゃない。
泣き叫ぶ、跪く、床をたたくなど様々に。

肉親を失った悲しみであれば当たり前の事とも思えるのだが、一方でそんな状況下でも日本人は結構冷静にマスコミに対応している。これは決して日本人が冷淡な訳でもなくて、推察するに多分美意識の違いだと思うのだ。

感情を人前で露にしない、感情を理性でコントロールする、また、できるのだと。

おそらくは人のいないところで大泣きしているに決まってる。

これが逆に日本人固有の「本音と建前」という国際社会から批判を受ける弊害となるのであるが…。
とはいえ、TV画面を通じて被災者の言葉を聞くにつれその言葉に品格を感じるのだ。

「決して天を恨まない」
「食べ物を支援してくださって大変うれしい」
「全国の方々に応援してもらって大変ありがたい」

こんなに辛い状況下でも決して恨むことなく、他に感謝し、他を思いやる心を忘れない、何よりも人としての誇りを物欲より優先させる慎ましさに品格を感じるのだ。

以前、TVタレントが私生活のゴージャスぶりをこれ見よがしに紹介している番組を観たが、あれこそ、まるで品性を感じない、逆に下品さが際立つ。

人間の物欲連鎖の成りの果てという感じに受けるのだ。

有名人による多額の募金、炊き出しなど目を見張る活躍ぶりが紙面を飾る中で前述のいわゆるセレブを気取ってる方々に未だにその動きが無いことは少々残念である。