写真 白鷹 料理長 今岡貴志
奈良時代では花の鑑賞は梅をさしていた
当時は遣唐使を介し中国との交易が盛んで
中国文化・物品が多く日本に伝わり
その中の1つに梅があった
香立つその花は珍重され人気となり
貴族たちの間で造園には梅を入れることが
定番となっていった
『万葉集』には桜を詠んだ歌は43首に対し
梅を詠んだ歌は110首
平安時代になると梅と桜の人気が逆転する
894年に菅原道真が遣唐使を廃止したことで
日本独自の文化が発展していったともいわれ
平安初期に作成された『古今和歌集』には
梅を詠んだ歌は18首程度に対し
桜を詠んだ歌は70首
ただ一般庶民が花見を楽しむようになるのは
江戸時代から
新しい元号「令和」の漢字2文字は
『万葉集』第5巻の中に歌われている
梅の花を歌った32首の序文に使われている
「梅花の歌三十二首并せて序
(あわせてじょ)」
「時に、初春の令月(れいげつ)にして、
気淑く(き よく)
風和ぎ(かぜ やわらぎ)、
梅は鏡前の粉(こ)を披き(ひらき)、
蘭は珮後(はいご)の
香を薫す(かおらす)」