(前回からの続き)
大きな光の存在を前に自分の思いを伝える。
「世界は素晴らしい。
神様は素晴らしい。
そして、みんな素晴らしいってことを
みんなに伝えたいんだ。」
そんなこと今まで想像もしたこともなかったのに、
確かに大きな光の存在の前に立って伝えたってことは
有ったんだという実感。
そんな不思議な感覚を感じた。
「みんなに伝えたい」ということは、表現することと切り離せない。
実は、現生の自分には表現することについての恐れが有る。
ただ、反対に強いあこがれがあることも自覚している。
実際に大勢の人前に立つと、ひどい時には心臓がドキドキして震えがきそうなくらいなのに(今ではかなり良くなってきたけれど)、堂々とした態度で霊的なインスピレーションを含んだ話をユーモアを交えてスピーチすることをイメージして、そのようなことができれば最高に素晴らしいな、嬉しいだろうなと思ったりすることもある。
この感覚、思い、生まれる前からの願望だったとは、・・・
ただ、そんなことを思い出したとしても、急に霊的なインスピレーションを含んだ話が出来るようになるわけもなく、いつもどおりの生活を続けていた。
そんなある日、また瞑想状態に近い時に、ふっと、その伝えた後の場面を思い出した。
その大きな光の存在は
「まず、お前が (現生でその素晴らしさを) 感じなさい。そしてそれをみんなに伝えなさい。(その素晴らしさ、喜びを表現しなさい。)」
ということ (言葉というより意味) を伝えてきた。
そうか、自分の思いを伝えただけでなく、
メッセージももらってたんだ。
メッセージをもらっていたこと自体は、うれしく感じたけれど、
本当に自分は今、世界を素晴らしいと思っているのか?
頭で理解しているだけでなく、
理解しようと努めているだけでなく、
そう感じているのか?
実感しているのか?
そして、その喜びを感じているのか?
そう自分に問いかけずにはいられないメッセージだった。
頭で理解していることではなく、本当に感じていることを表現する。
生まれる前には感じていたはずのこと、その素晴らしさを
今、この現生でも感じられているか?
正直に言うと、100%感じられていると言えないならば、
どうすれば良いのだろう?
何をすれば良いのだろう?
逆に、何を手放していけば良いのだろう?
まずは、そこから自分を見つめ直す必要があるかもしれない。