116katsuビィクトリーのほんまです。お仕事依頼お待ちしております。さて、暇なので調べていました。本気か嘘か?


「報告書はこう書いとけ。相手が暴れたってことにしておけ。」


ある元警察官が、そう言われたという。

職務質問中に一般人がケガを負った。

しかし、上司の指示は「正確に書け」ではなく、「波風を立てるな」だった。


それが“隠蔽”の始まりだ。





警察官は、法律を守る最後の砦。

本来ならば、誤りを正し、事実をそのまま記録する立場のはず。

だが現場では、“正義よりも組織を守る”という空気が確かに存在する。


最も多いのは、**現場トラブルの「報告合わせ」**だ。

職務質問、取り押さえ、逮捕時のトラブル。

もし相手がケガをした場合、本当は不必要な力を使っていたとしても、

相手が暴れた」「抵抗した」と報告を統一する。


映像がなければ、証拠は警察官の言葉だけ。

結果として、被害者の訴えは「虚偽の主張」とされてしまう。

「俺たちは正しい」という信念の裏に、沈黙の口裏合わせがある。




もう一つの典型は、**報告書の“書き換え”や“削除”**だ。

初動でミスをした、通報を見落とした、あるいは捜査方針を誤った。

そんな時、「最初から動いていました」「すぐに対応しました」と記録を整える。


なぜか?

上司の評価、署の体面、検証が入った時の責任逃れ。

現場では「真実」よりも「辻褄」を優先する構造が根づいている。


「一度、間違いを認めたら終わり」

そんな文化が、若い警官をも縛ってしまう。




さらに根深いのが、同僚・上司の不祥事の隠し方だ。

飲酒運転、セクハラ、金銭トラブル――。

本来なら懲戒処分になるような案件が、「口頭注意」で終わることがある。


理由は単純。

「身内を潰すと、組織全体が傷つく」。

警察は警察官を捜査する仕組みを持っているが、

それゆえに甘さが生まれる。

“自浄作用”が機能しづらいのだ。




だが、これらの隠蔽は、

「悪意」ではなく「恐怖」から生まれる場合も多い。

上司の怒り、マスコミの目、世間の批判。

そのプレッシャーの中で、

「本当のことを言えない」空気ができてしまう。


ただし、結果的に守られているのは“国民”ではなく“自分たち”だ。

それが一度でも露見すれば、

警察全体への信頼は一瞬で崩れる。




近年、防犯カメラやSNSの普及で、

隠蔽や虚偽報告が明るみに出ることも増えてきた。

だが、それは氷山の一角にすぎない。


現場の正義を取り戻すには、

「内部の沈黙を破る勇気」と「外から監視する市民の目」が必要だ。


警察は正義の象徴であってほしい。

そのためには、“間違いを隠さない文化”こそ、

最も守られるべき掟ではないだろうか。