今日は少しまじめです。
新潟県中越地震が起きたのは、2004年10月23日午後5時56分。
ちょうど今から21年前のことだ。震源は旧川口町(現在の長岡市北部)、マグニチュード6.8の直下型地震で、観測史上初めて機械観測で震度7を記録した。
地面の揺れだけでなく、山間部では地すべりや斜面崩壊が相次ぎ、山古志村では道路が寸断され、村全体が孤立。土砂に埋もれた集落も多く、救助が難航した。
住宅被害は全壊3,000棟以上、半壊1万3,000棟以上、一部損壊は10万棟を超えた。避難者はピーク時で10万人に達し、体育館や車中で夜を明かす人が続出した。
電気・水道・道路・鉄道などのインフラも大きく損壊し、交通の要・関越自動車道も一時通行止めとなった。寒さが厳しい季節で、避難所では毛布も足りず、余震の恐怖に眠れない夜が続いたという。
犠牲者は68人(災害関連死を含む)、負傷者は約4,800人にのぼる。被害の中心となった長岡市や小千谷市、十日町市などでは、今もあの揺れを忘れられないという声が多い。
特に旧山古志村では、全村避難が行われ、数年にわたる仮設住宅生活を余儀なくされた。
現在、道路や住宅の復旧は進み、山古志も村として再生を果たしたが、震災を機に故郷を離れ、他地域で暮らす人もいる。
高齢化と人口減少が進む中で、「戻りたくても戻れない」現実を抱えた人も少なくない。
地震から二十年を過ぎた今も、被災地の記憶と爪痕は確かに残っている。
──21年前の今日、あの日の揺れと恐怖、そして人々の絆が、新潟の地に深く刻まれている。


