116katsuビィクトリーのほんまです

長渕

中学生や高校の頃から、名前も曲ももちろん知っていた。


乾杯」や「とんぼ」、「ろくなもんじゃねぇ」なんかは、誰でも一度は耳にしたことがある定番ソングだ。けれど、当時の俺にはまだ“長渕剛”という人の深さまでは、正直わからなかったと思う。


大人になって、仕事をして、いろいろな経験を経てから――気づけば自然と長渕を聴く時間が増えていた。

 昔と違って、歌詞の一つひとつに重みを感じるようになったというか、心に直接刺さってくるようになったのだ。


最初はCDのベスト盤をFLACでリッピングして、DENONのプレーヤーにUSB-DACを通して聴いた。音の粒立ちがよく、あの“剛の声”が立体的に浮かび上がる。デジタルでも十分良かったが、ある時ふと中古レコード屋で、長渕のLPが110円で売っているのを見つけてしまった。気づいたら6〜8枚まとめて買っていた。


実際に聴いてみると――驚いた。


声が、まったく違う。


若い頃の長渕剛は、どこか繊細で、時に甘さすらある声だった。後年の“腹の底から怒鳴るような”声とはまるで別人。のちに本人が「昔の自分の声が嫌いで、酒で喉を潰した」と語っていたという話も聞く。なるほど、そういう変化だったのかと納得した。



そんな中で特に良かったのが、「乾杯」「時代は僕らに雨を降らしてる」「HEAVY GAUGE」。




特に「時代は僕らに雨を降らしてる」は、俺の中では再発見だった。

アルバム全体が今とはまるっきり違う空気をまとっていて、当時の社会や若者の心情がそのままパッケージされているように感じた。粗削りだけど、そこにある“リアルさ”がたまらない。



CDのクリアな音もいいが、LPで聴くとノイズ混じりの中に人間味があって、まるで本人が目の前で歌っているような錯覚を覚える。

あの頃の長渕剛には、時代の風と、迷いや怒り、そして夢がちゃんと詰まっていた。


今からでも、LPを集めてみるのは悪くないと思う。


デジタルで完成された音よりも、当時の温度がそのまま残る“生の音”が、ここにある。


そしてそれを聴くたびに、自分自身の歩んできた道も少し見えてくるような気がする――そんな時間が、最近は心地いい。