なんか消したみたいでした。下書きありましたからあげました。
(全ては夢、その続き)
「YouTuber…とか…」
俺は笑わなかった。
「いいじゃん。でもそのために、英語、必要だと思うよ。世界に出るなら。」
そこからだった。俺たちは“文法”じゃなく、“夢”を軸にした授業を始めた。
文法は「道具」。目的は「表現」。
そう伝えたとき、彼の目が初めて俺を見た。
それが、三件目だった。
変わり始めた“空気”
指導を重ねるうちに、口コミが広がっていった。
学習会→家庭教師→紹介→また家庭教師…という細いけど、確かな糸。
ここで俺は一つ気づく。
「俺は“宣伝”が下手なんじゃない。
むしろ、“誰に届けるか”が曖昧だったんだ。」(今まだもそうだけど、全て夢ですよ)
万人ウケを狙っていた。でも俺のやり方は万人には向かない。
クセのある教え方、深く入り込む指導法、それに共鳴してくれる家庭にだけ届けばいい。
だから、ターゲットをはっきりさせた。
- 学校でなじめない子
- 塾でついていけなかった子
- 勉強がわからないのに「恥ずかしくて聞けない子」
そういう子の親に届くような、ブログを書いた。Xにも載せた。
「勉強が苦手な子、理由があります」
「聞けない子に、聞ける環境を」
「家庭教師、向いてるのは“教えすぎない人”かもしれない」
そんな投稿に、ぽつりぽつりと「いいね」がついた。
三件目の次へ
ヨウスケの家庭教師は今も続いている。
彼は最近、学校の英語の授業で挙手をしたらしい。お母さんから感謝のLINEが来た。
「先生、ありがとうございます。彼、自信ついてきたみたいです」
スマホの画面を見ながら、俺は思った。
「これは仕事だけど、仕事じゃない気がする」
金のためだけじゃなく、必要とされることそのものが“報酬”になることもあるんだな、と。