すっかり投稿頻度が落ちました。
忘れた頃にポコッとあげています。
投稿して物申すことがあまりなくなりました。

今日は気持ち悪いくらい暖かい四月のような土曜日で、私にとって唯一仕事を忘れられる日です。
朝からボーッと全部抜いてワガママ三昧過ごし、
お昼近くになって、やっと重い腰を上げ
歩いて3分もかからない近くの郵便局へ通帳記帳に行きました。

もちろん局は閉まってますが、ATMは開いていて、先客が一人。
私、もう閉店間近なので、最初は、早くしてくれないかなーと、ドアの外でやややきもき…

しかし、よく見ると、かなりご高齢で、体も痛そう。
やおら置いてある椅子に腰掛け、辛そうに機械に寄りかかりました。
もう見ていられなくて、ドアを開けて中に入ると、
その方、一気に助けを求めて来られました。

操作を誤ってしまったら、機械が動かなくなってしまい、画面もどうやっても動かない。
自分の通帳は中に入ったままだと、
かなり混乱されていました。

それは大変…じゃーと、機械に備えつけられている受話器を取りましたが、全く反応しません。
で、彼をそこに残して
走って携帯を取りにうちに帰り、携帯で、壁にあった電話番号にかたっぱしから電話して、
やっと備えつけられた機能する電話を教えてもらいました。

耳が遠いその方に代わって事情を説明し、
やっと解決しました。

その方の落胆や歯痒さや悲しさが痛いほどわかりました。
何度も何度もお礼を言って、迷惑をかけて騒動になって…と悔やみながら、
必死でポールを伝ってご自分の車に向かわれました。

この方も、きっと社会を動かし、後進を指導しながら、バリバリ働いていた時代があったはず。
少し前なら、こんな機械でミスして、頭がパニックになりうろたえるなんて、きっとなかったはず。

どれだけ悲しく悔しく、ショックだったでしょうか。

私も、同じように加齢の辛さを日に日に増して味わっている者。
若い頃なら朝起きて自然に動き出した肉体が、
今では一時間かけても、何をするのもおっくうで、
エンジンがかかりません。
若い頃なら無理してもやり通し、どれだけでも足を運んだり手をかけたり…
そんな事苦になんかならなかった。
それがむしろ楽しかったのが、
今は、もういいか…となります。
若い時は、世間様に言いたいことが次々湧きましたが、今は、物申すこともあまりなくなり、口もあまり開きたくなくなってきました。

そんな時にこんな事でトラブルが起きると、もう生きることさえ辛くなるくらい悲しいのです。
お茶碗を落として割ったとか、
手に持っていた何かを落とした、なんて、バカみたいに小さな事も全部です。

でも良い事もあります。
職場で、自分の立場が低められたり、軽視されたり、見下されるような言葉を聞くとき、
若い時は、もうここには自分の居場所はないな!とか、私がここで働く意味ないな!とか、
あるいは、こんな事やってたって何になる⁉️とか、
これは神さまの御心じゃないのでは?と
悩み出したり、簡単にやめようとしたり、腹を立てて義に立って裁いたりしたものです。

でも、歳とって弱くされた今は、
それを受け入れるしかないのです。
腹を立て、義に立ち、後ろ足で砂をかけて辞めても、
自分には行く場所がないから。
どんな理不尽も受け入れて黙るしかありません。
自分で新しく開く力がないから。
力がないから。

弱さは強さだなーとつくづく思うのです。

最近老害なんて言葉がよく聞かれ、
長を辞された方が、
「不愉快」だと我々高齢者に代わって発言されたのだと思います。
が、
老いることは悪でも害でもありません。
その弱さを受け入れず、
王のごとくに虚勢を振るい、他を見下し、強く見せようとすることが害なのです。

弱さは、私たちを主キリストに向かわせ、より頼ませ、同じように弱っている人々に主の愛、なぐさめ、力を流すしもべとし、管となさせてくれるのです。