雨続きの日々を
皆さま如何お過ごしですか?

私は、また今日から、あの世界が始まります。
あの世界とは
ほとんどの人々が毎日、普通に頑張っているあの世界です。

みんな、ただ生きるために、
よく頑張れるなあと思います。
平気な顔で、普通にやれるなんて尊敬します。

私は、主ともに居て背負っていただかないと絶対に無理です。
なのに、ほとんどの人は、主なしで、自力で踏ん張れるなんて、その力はどこにあるのでしょうか。 


私も、そこに行ってしまえば、普通の顔で、普通にやっています。
でも、毎日、直前直後は、

「もう無理。
神さま、もう勘弁してー!」と泣きたいです。

泣いてもわめいても、生きていかなければならないので、
主に必死で祈って、
主の力と主の忍耐力と主の愛が流れるよう、
主に使っていただけるよう祈ります。
足は後戻りしたがるのですが、
叱咤激励して、前に進め、職場に追い込みます。
そうやって、やっと5千円にも満たない賃金で、
一日をただ生きる。

何と悲しいではありませんか。

主共におられ、働いてくださっている、とわかれば、
それで慰められ、生きる希望も来ます。
でも、それがなければ、くたびれた体と、悲しみでいっぱいになった心で生きていることは、何と辛いことでしょうか。


67歳。

年齢を考えると、希望など一滴も湧きません。

周りで若い人々がやっている
ありとあらゆる営みがうっとおしいし、
だから何なの?と言いたいし、
私から見て、高すぎるテンションに心体が反応します。

でも、主がまだ使うと言われるなら、
黙って、
この土のボロボロ器を差し出すのみ。

土の器の中にあるものは、
器とはとても釣り合わない
測り知れない永遠の価値をもつ宝。

聖書は語っています。

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが
明らかにされるためです。

2コリント人への手紙4:7