今日のメッセージは、「ベデスダの池」だった。

クリスチャンで聖書読んでいる人は内容を知ってますね。
わからない方は、聖書ヨハネの福音書5章をよんでください。

私が、頻繁に、一番神さまに示される箇所だ。

どんなにもがいても中心に行けない人たち、

随分離れて、忘れられるくらい後ろから、もう半分諦めながら、何度も転びながら、マラソンレースを必死でヨロヨロ歩いているような…
そんな人たち。

みなが乗っているエスカレーターに乗れない人たち、

置き去りになってしまう人たち…

イエスさまは、そんな人のところに行かれた。

人々が忘れてしまったかのように
寄り付かない人のところ。
楽しそうな笑い声を遠くに聞きながら、
自分の人生はこんなもんだ…と、諦め受け取っている人のところ。

信じる…とか…期待する…とか、
はるか昔にできなくなってしまった人たち。

私の心は、どうしてもそちらの人たちに向く。

何故なら、
信じることができる人は、
人が助けなくても歩いて行ける。

でも信じられなくなった人は、
誰か一緒に信じてあげないと、
いのちの灯火が消えそうだから。

SNSもネットも使えない人、
体の自由が効かなくなって自由に動けなくなった人、
精神を病んで世の中から隔離された人、
公共機関の助けの網目からさえ、ボロボロこぼれてしまう人。


それは多分
自分がそうだったから。そうだから。

そんな私を哀れんで、
イエスさまが、
私一人のために、助けを差し伸べるために人を遣わしてくださったから。