(大豆を…49粒…なかなか食べるのがしんどいお年頃です。。。)チーン


(大豆の数を見て、可視化すると、改めて…

こんなに生きて来たんだなぁ…)


ありがとう、私ニヤニヤ笑





先日、

タロが、持ち帰った詩を拝見。。。


ペンネームが、すごく良いですね!(早速親バカw)指差し飛び出すハート



小学校の校門入ってすぐに、太い幹のけやきの木があります。

冬だし、枝葉も短く切り落とされている。

(イラストの通り)


なのに、あえて注目しちゃう感性✨ 👀

(毎日こんな気持ちで門をくぐっているのかぁ💕)



以前、自閉っ子のママ仲間と話したことあって、

「枯れた植物に興味がある」って聞いた事がありました(あくまで彼女のお子さんの話)、


「ママ!みてみて!」と、子が指差す方を見たら、枯れた花だったので…なんだか共有するには淋しすぎて、悲しかった…悲しい

みたいな話でした。(わかるー!指差し)


(ニヤニヤ確かに、普通は、キレイなものとか🌸、珍しいもの👀とかに反応して、共有して楽しむのでしょう✨母も嬉しいものです)←娘の時に経験済み。


「枯れた花でも、子といっしょに見て共有すれば良いじゃん♪」指差し(いっそのこと)


と、思われる方もいらっしゃるでしょうが、

それは子が普通だった場合、そう思えるでしょう。。。

(お!うちの子普通と視点が違って、面白いやん!👀的な)



でも、

自閉っ子の親として、

1番通じ合えない、幼いときというのは…

子の障害を受け入れてはいるものの(頭では)、

やっぱり「普通と違う部分」を見てしまった時は、「やっぱりなぁ…」という、現実の受け入れが先に来ます。悲しい


普通である可能性も期待しつつ、日々過ごす中で、「やっぱり違う」を重ねて、重ねて…

親も「違って良し」の受け入れ完了まで、ゆっくり成長していくのですね。看板持ち(懐かしいw)←現在進行形だけどw



話は戻って。。。

タロは枯れ木に興味はないなぁ…と思っていたのです。枯れ木というか、上を見ない子でしたので。気付いてないw


でも、この詩を見て、枯れ木…興味あるやんっw👀



親バカですけど、この詩ステキなんですよ✨


そもそも、木は枯れていなくて、冬を超えて春に向かっている。それも、長い間、ずっと。


毎日見ているはずなのに、

ニコ「こんにちは」って、フレッシュだしw


「置いてある」も、ちょっと適切でないかもしれないけど、


タロにとっては、持ち帰れないし、学校に行った時にしか見えないもの、なので、記憶として「(学校に)置いてある」んでしょうw


普通なら、冬の木ってなんだか淋しい印象を受けますけど、


その姿にも、

守ってくれてありがとう。

大切にするね。



タロの言葉には、温かさがあって、

陰のイメージの中に、陽を感じとっている✨と、思いました。(とてもタロらしいほっこり)


だから、以前聞いた話の 自閉っ子くんも、

枯れた花の中に、何かキラリ✨を見つけたんでしよう。

ママに伝えたかった、何か。


目に見えるものが全てではなくて、

「感じる力」は、普通よりある

(だからこそ、普通の中で生き辛いという現象になるんだろうな)



会えなかったり、姿形が違っていたり、姿形すら無かったり…あるけれど、

自分だけが感じる「大切」の存在。


周りには解らないことでも、

自分の中に、確かに在る。感じる。



昨年は、愛のエネルギー循環💕の感覚を書き残して来たのですが(人を通して感じ取る)、


実は、人だけじゃなくて、動物はもちろん、物や自然やあらゆる物にエネルギーがあって、


守って守られて、支えて支えられて…循環しているんだなぁ✨



お別れした命と、生きている自分の間にも、

「守ってくれてありがとう。これからも大切にするね。」

この想いにも、循環を感じるのです。


どこにいても、繋がっているんだなぁって。

 


タロの詩から、

過去の自分を思い出したり、今、感じていることを、書いてみました(メモ的な)。



ちょっと意味不明な部分あるかもしれませんが(いつもw)

やっとこさ、文字と向き合っています。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます😊