(今日は、自分的オフ日として、徹底してw休む事を許していますなんだか…時間の経ち方がのんびりで、不思議✨有り難い)
心の声でした。。。
タロが、音声でのコミュニケーションが、
なんとなくスムーズになったのは(なったように感じたのは)、
幼稚園の年長さんになってから。。。
(それまでのアレコレも、ちゃんと書いていこう✊)
今は、小学4年生。
(育てている感覚は1、2年生くらい)
今も変わらないなぁ…という、やりとりがあります。
2人で買い物に行った時、
「タロ、好きなお菓子一つ選んでいいよ」
(その時、ほしい時は)
「ありがとう。」と言って、ラムネ1つなど選びます。
でも、
(その時、ほしくない時は)
「今は大丈夫、いりません
」
(え?今買っておいて、明日食べてもいいんだよ)とは思いますが、いらないと言った場合は、買いません。
「お家に帰っても、タロの好きなおやつ、ないんだよ」といっても、
今はいらない。のです。
娘なら、
「ラッキー✌️」と言って、今欲しくなくても徳を選んで、買うでしょう。
案の定、帰宅して、
「今日はボクの好きなお菓子がありません。」
(でしょうね。。。)
それで、諦めて、その日はお菓子を食べずに過ごします♪(アッサリ)
タロの場合、
(ついでだからと)こちらの買うタイミングの時に、問うても、
お菓子を食べたいかどうかは、その瞬間の自分の状態で決めている。
買わずに帰ったから、お家にお菓子はない…こともすんなり受け入れて、不平不満もない。
「やっぱり、さっき、お買い物の時に、買っておけば良かったな。。。」という、後悔もない。
欲がないとも言えるのかもしれないけど、
お菓子を買えば「食べたい」を叶え、心を満たす。
お菓子を買わなくても、自分が望んだ(買わないという判断)ことなので、心は満たしている。
そんなふうに、見えるのです。
(私なら絶対、買っちゃうけどねー!)JK心の声。
この前は、夕飯後に、冷凍庫を開けて、
「アイスはもう無いんだね。。。」
「ありませーーん」←ひどい母
「わかりました」(素直に諦め)
すると、
主人「パパが今から買ってきてあげようか?」
↑
すぐ、こう言ってくれるんですよ♪(本気で)
(歩いて5分のところにドラッグストアがあるので、フットワークが軽くなってますw)
とはいえ、夜だし、仕事終えてゆっくりしているパパに申し訳ない💦
私や娘はいつも
「いいよ、そこまで求めてないし、大丈夫」と断ります。
でも、タロは
「お願いします」
と、言えますw
(申し訳ないとかの心情はありません)
むしろ、ボクの夢?を叶えてくれてありがとう✨なくらいに、素直に喜びます。
(お金持って、スキップして飛び立つパパ。。。)←このイヤイヤでなく、面倒くさがらず対応する主人を尊敬しています✨
主人がこうした対応をする事で、タロが甘えて、ワガママに要求をすることが増えるのかというと、そうではありません。
タロは常に、
その瞬間に要るか要らないか。
要るも、要らないも、自分の決めた望み。
だから、文句も後悔もない。
欲しくても無い…それはそれで受け入れる。
でも、叶えられそうなら、力を貸してくれるその人に、素直に甘える。素直に喜ぶ。
改めて、タロは本質を知って(無意識に)いるんだなぁ…なんて思うのでした。(親バカと言わせてください)
お友達がどうとか、嫌いとか、何も言いません(気付かないor気にしない?)。
「○○さんは、どんな子なの?教えて。」とたずねると、
必ず、その子の良いところを教えてくれます。
しかも、ドヤってw(自分のことのように)
それを聞いて、
私の心は、とても癒されます✨(親バカPart 2)
自閉症という、脳の特性🧠により、
主に、人とのコミュニケーションは苦手で、
現実社会の中で生き辛い…と言われます。
たしかに、そうです。
でも、見方を変えれば、
好きなことは、とことん知識を入れて、その事を確かめるかのように、電車旅をし、おもちゃの車や電車で、自分の作り出した世界で、楽しむことが出来ます。
自分で自分を満たすことを知っている✨
大人になればなるほど、この事の難しさを知った今、
息子が、タロでよかったなぁ…✨と、思える自分がいます。
自分の人生プランには全く無かった、
「障害児の親になる」。
泣いたし、苦しんだし、不安だし、お先真っ暗。自分を責めた。
でも、そのころの自分が愛おしいです。
タロを育てる事で、
「愛のエネルギー循環💕」を知りましたし、
「どんな自分も受け入れる✨」ことを、知りました。
どちらも、気持ち良いのです。
この気持ちよさを感じられている自分は、素直である、と感じます。
何があっても、
幸せです。
感謝です。
つらつら書き過ぎました💦
最後まで、お読みいただき、ありがとうございます😊