自由を標榜する表現者にとって、人類の関わること全てに対し、

自身との距離と答を出さなければ自由は獲得できない。

 

   映画「最初の人間」はフランスの植民地アルジェリアの

アルジェ生まれの主人公が10歳代の小学校に通う時代と1957年

アルジェに住む母を訪ねる映像が交錯する。

 

      アルジェはフランス系市民とアラブ系市民が別々の居住区に分かれ、

アルジェリア独立戦争(1954-62)に騒然とした中で映画は展開する。

1967年頃見た映画「アルジェの戦い(1956-57)」は熱く

血生臭く、凄まじかった。

日本の安保闘争のような生やさしいデモでは、痛みも血もなく(悲劇的な例外もあったが)、何も変えられないことが後年分かった。

カミュは社会派の作家として、矛盾する世界に対し、

「異邦人」のムルソーに「太陽が眩しかったから」と言わせる。

秩序とは無限に距離を取り、

真空の空気を吸う自由を見せるような常識世界から逸脱して見せた。

 

   無秩序な人間集団が規則で個人の自由を縛ることによって、

国をつくり、世界を築き、今日に至った。

   カミュは感性によって、規則や法律を形而上の表現で、

自由への抜け穴を示すことができた。