ネオダダ・オルガナイザーや現代美術の強力なリーダーの一人であった

篠原有司男(篠原有司男 - Wikipedia)さんには幅広い表現で自由を目指す姿勢に

現代美術志向の若者は感嘆と尊敬を表明するしかなかった。

 

   一方、小さな版画の分野でも「花魁シリーズ」が受け、

版画が日本の現代美術の中でも画期的な美術が売れるという現象を

引き起こした役者だった。

 

   このブログのシリーズでは篠原さんは度々登場します。   

   

   篠原さんとの最初の出会いはウォーカー画廊であった。

   このコンペで入選者には長期個展開催が謳い文句であったが、

私の場合は実際には「ヤングスリー展」(1968年12月)だった。

   実際には1969年?月発行のの「美術手帖」には 

樋口正一郎個展紹介:同年3月22日 プラン・テクノロジー・イリュージョンと

   同年4月7日~26日 個展開催が告知されているので当方お勘違いか?

 

   当時、新宿の「ノアノア」や厚生年金会館の近くに

ゴーゴークラブといったダンススタジオの床に

ネオンを埋めた込んだデザインを同級生5,6人で見入った。

若者と一緒に自分も床の赤や青のネオンの点滅に狂ったように踊った。

 

   60㎝x60㎝x高さ30㎝の赤と緑のネオンの塊のような作品を出展した。

   その当時、絵具など色で表現するのでなく、

光で表現することに興味を持っていた。

   

   ニューヨークのスティーブン・アントナコスのネオン作品に

憧れを感じていた。

   

   人類が自然を集約して人工的につくった色よりも光は純粋なものと思っていた。

   それぞれの赤と緑のネオンを0.1秒以下で点滅させると

室内が赤や緑に染まり網膜に残像は残り

点滅を繰り返すうちに室内が燃え上がるような幻覚を覚えた

 

   最初は赤や緑に映える環境や

人も白っぽく煙のように蒸発するような異次元の感覚に

篠原さんもいたく気に入ってくれて

友達を呼ばなくてはと、画廊の電話で

友人、知人にかけまくってくれた。

  それからというもの、

篠原さんのお陰で、多くの現代美術家、

それも活躍している人に見てもらった。

 

   それにしても、面白いことを共有しようと積極的に

働く人に出合うことは珍しく、率直で稀な人物だった。