テーマが大きくてスミマセン(*^^*)

(画像は、田中英道氏=日本人の起源より。)

細かく説明していきたいのだけれど、

現代日本をとりまく流れと日本固有の流れの違いに

ついて、1度整理しておこうと思います。


世界的には、合理的かつ利益重視(少しでも速く、大量に)なものの考えだけが取り沙汰されているが、

(ラーメン屋でも先日、ロボットが配膳して来た。人件費の削減かな?コンビニもストロー箸はセルフサービスになってきてる。サービスの質がどんどん下がってきてますね)


日本は、どちらかというと家族を中心に物事(サービス、商売)を考えてきた節がある。我が子息に対して行うが如きのサービス、立ち居振る舞いが自然と織り込まれていた感がある。


なんかこう、変に椅子引いたり、形式的に頭下げるようなんじゃなくて、幼児がいてたら自然とお子様用の椅子を用意したり、親身になって相手のわずかな仕草や表情、声色で潜在的な要求を察する、読み取る文化がある。


欧米諸国は、文化や習慣が違うこともあり、自分自身でいちいち主張しないと万事伝わらない感があり、口論に負けないための論理的戦法まで習う。


やたら契約書や法律的にはこうだ

金利がどうとかうんぬん。


日本は、いい意味で、法律よりも情け、勝ち負けより生き方の潔さを尊んだり、共同体の団結、採算度外視なときもあるかな。


これは、欧米諸国は、言葉ヅラ(文字、数字)を重んじるのに対して、日本は行動してみて、生き方を通して物事を判断する傾向がみてとれる。


また、肉体美の彫刻や肉体の運動能力を競うオリンピック、服装も男性のムキムキマッチョ、女性のボンキュッボン、丸みを強調するものを着る。


日本は、水墨画やおぼろ月などぼやっとした絵や着物なども、女性の丸みをどちらかというと晒し巻いて隠す、手足の形も視えないように1つに包むようなイメージがある。


つまり、欧米諸国は肉体、物質、文字、合理的分割的(狭い領域の専門家)思考


日本は、精神的、霊的、家族的、統合的思考に立って物事を考える傾向がある。


西洋の写実的な絵画と似顔絵的な歌舞伎の浮世絵


富嶽百景に影響を受けて 

西洋の自然美を描いた風景画と、


葛飾北斎の富士山には、単に自然(ネイチャー)の山ではなく、 


富士山信仰=自然に対する畏敬の念=が込められている、描かれているという点が大きく違う(*^^*)


日本語の【自然】という言葉には、英語のネイチャーともう1つ

【ありのまま】という意味あいも表現されている。


自然体、もっと自然でイイよ。とか使うやつ。


なんやろ、縄文時代、竪穴式住居で自然に家族単位、親戚単位、集落単位、地域の連合単位、その統合的なものが、日本の場合に関東、東北を中心に【自然に】出来上がってきて、その主たる家系が天皇、皇室の起源であることは間違いない。

  

(関西にある重要な神社、例えば春日大社の祭神である武甕槌大神、経津主大神、の両神は千葉県と茨城県の県境に対をなすようにしてある、鹿島神宮、香取神宮から勧請(持ってきた)されたものである。

奈良公園の鹿🦌は、鹿島神宮からやってきたという事である。あるいは、藤原氏の祖先、天児屋根命などいわゆる天孫降臨のときやってきたとされる神は関東出身です(*^^*)補足長。)


ステイツやネーションに、ファミリーの要素はないが、日本の場合は、国家という言葉があらわすように、の集合体が國(くに)であるという含みがある。


イエ(家)には、例えば結婚式なんかでは、○○家と△△家…両家の結婚という形であるように、親類縁者という意味合いがある。


戦後個人の合意のみで結婚するのが、流行り。

簡単に離婚する傾向が見受けられるのは、この概念が薄れてきている結果である。


もちろん、それを見越して(家の概念の解体を狙って相続も兄弟平等で割る=たわけ=田分けにしている。)つまり故意に(離婚が増える、伝統産業不振になるように)日本国憲法は、GHQによってつくられている。

(補足長(*^^*))


また、イエ(家)は、動物でいえば巣(ス)です。

(ぼうず)法主(ほっす)の祈りの主(しゅ=ス)直のス、べるのス、やすや眠るのス、天皇(めらみこと)のの意味合い含む=これは言霊学の見地ですが参考までに。


老人ばかり1つの所へ集めて施設運営するとかよりは二世帯住宅、同居のほうが自然なのかもしれないですよね。


まあ、こんな感じで日本はネイチャーの自然と、心の底から湧き上がるありのままの心情【自然】と共に生きることを文化として受け継いできている。

惟神(かんながら=神さながら)の道。


それは、自然に感じることで文字でおこすことはできない。西洋人が日本人の考えが理解できないのは無理も無い。


インド(つづく)