『麒麟がくる』NHK大河ドラマの主人公

明智光秀坂本龍馬には、ある共通点がある。 

数年前に亀岡城を訪れた際、地元では明智光秀を大河ドラマの主人公へとの運動をしていました。
大河ドラマでは、これまでの反逆者のイメージを
拭い去って戴くこと、光秀公の新たな魅力発見の
期待をしております。


 例えば二人が残した和歌

心知らぬ 
人は何とも言わば謂え 
身をも惜しまじ 
名をも惜しまじ (明智光秀)
 

世の中の人は何とも言わば言え。 
わが成すことは我のみぞ知る。(坂本龍馬) 


 そして桔梗の家紋 のこと。



 こちらが、坂本家の「組合角に桔梗家紋

 ( ゚д゚ )彡そうです。(若干弱い)

明智光秀の娘婿、明智左馬助の
遺児が土佐に逃れ、坂本龍馬
遠祖にあたるのではないかと云う
伝説です〜。
 

以下、概説。
信長を討った明智光秀の娘婿、
明智左馬助が

本能寺の変のあと、
近江の坂本城に逃れて自害し、

その遺児、明智太郎五郎が、 
土佐国才谷村の大浜に逃れ住み 

‘’反逆者‘’明智の血筋をはばかって 
大浜太郎五郎』と改姓した。
 

この大浜家4代目の太郎左衛門が
才谷屋を興して高知城下の豪商となり 

その孫、八太郎が近江の坂本城を偲んで
『坂本』と改姓したと伝えられている。
 

(持ち丸長者 幕末維新遍 広瀬隆著参照) 

もちろん、この遠祖説は確かな話ではない。


 しかし、土佐三富商
浅井藤右衛門(近江、浅井長政の末裔)
川崎源右衛門(近江守護、佐々木氏の末裔)
才谷屋の坂本家

のうち2つは近江の出となっていること。


 龍馬を最後に、匿っていたのは、
その名も‘’近江屋‘’。(醤油業、近江屋新助宅) 

また「亀山社中」は、明智光秀のもう1つの居城
亀山城」からではないのか?(*^^*) 

など様々な憶測(状況証拠)があります。


 ただ、もう1つ、坂本家の家風、伝統は、 
当時の世間一般とは異質であったことは 
確かなようだ。
 

当時の学問は、いわゆる【儒教】であるが、

 坂本家では代々、
《神道、国学、和歌》
を重んじ受け継がれていた。
(その為少年時代はまわりから学問がないと劣等生扱いされていたようだ。)
 

その思想は、
日本を今一度せんたくいたし申候事」という有名な手紙のフレーズにも現れています。
 

天皇を仰ぎ朝廷を中心として
神州(日本の国を神州、神国と呼んだ)
保つ根本を打ち立てることが、何より重要です。

そうして江戸の同士と心を1つにして徳川幕府を打ち倒し、日本を新しく生まれ変わらせたいということが、私の神願(神への深い願い)です
』(現代文 日本の偉人物語①光明思想社より)
 

(原文
朝廷より先ヅ神州をたもつの大本タイホンをたて、夫より江戸の同志(はたもと大名其余段々)と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本ニツポンを今一度せんたく(洗濯)いたし申候事ニいたすべくとの神願ガンニて候。)
 


僕自身は、どうかな、明智の末裔のような気がしますね。そんな気がします。(^_^;)
 


さて、この坂本家の祖先について、
坂本龍馬は次のように信じていたという。

 【武内宿禰の子・
紀角宿禰(きのつののすくね)を始祖とし、
大和国平群県紀里(現在の奈良県生駒郡平群町上庄付近)を本拠地とした紀氏の「紀貫之の子孫」である】
 

前墓石には「坂本龍馬直柔」と彫られている



坂本龍馬直陰(なおかげ・後に直柔なおなり)
(11月15日に生まれ)

坂本龍馬の場合、ふだん他人から呼ばれる通称が「龍馬」、実名が当初「直陰」。
史料のうえでは慶応二年(1866年)およびその前後一ヶ月をさかいにこれを「直柔」へと改めている。



 うおお、、武内宿禰(たけのうちすくね)が
出てくるとは、正直思いませんでした(*^^*)
持ち丸長者……経済の流れ……で気になる記事から発展して、神話につながるという展開。びっくり❢
 

※(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる。


 土佐神社(土佐国一の宮)と
大和葛城一言主神社(奈良)の祭神
同一の云われがあり、

坂本龍馬(土佐)武内宿禰(奈良)の血筋をつなぐ
土地祭神の関連性もすごく興味深い。
 
※武内宿禰は、神功皇后(仲哀天皇の妻)の審神者(さにわ)としても有名です。

(※このブログ天孫降臨のうけいのところで
神功皇后出ています)

今回は、ここまで。

最後までお読みくださりありがとうございます
m(_ _)m〜