年末年始は実家で過ごします。
姑も高齢なので一人にしておくのは心配ですが、車で五分のところに義姉一家が住んでいるので、例年、入れ替わりに義姉に帰省してもらっています。

で、実家に来ると、普段独り暮らしで色々と考えている実母が、子供に見せたい番組とか新聞記事とか、たっぷり抱えて待ち構えているので、子供が飽きてゲームの世界に旅だったのち、私が実母と感想を話し合いながら、時間が許すかぎり、延々と録画を見ている、という状態が続きます(笑)。

今回見た中で面白かったのは、エジプトと南アメリカのピラミッド、日本の宗像三神信仰の共通点から新しいピラミッドの解釈に迫る番組。
いつもながら吉村教授の推論はかっとんでるようですが、今日までいくつも実際に考古学成果を出しているのを見るに期待を持ちます。

まえから教授はピラミッドは墓じゃない、と唱えておいでで興味深かったんですが、今回、ピラミッドはご神体である、という解釈を打ち出していて面白いな、と思いました。

そういえば、と思い出すに、クフ王の時代から神殿にはオベリスクも建立されていますが、このオベリスクの先端にもピラミッドの先端にも、同じようにベンベネトと呼ばれる冠石の部分があります。
四方に碑文が刻まれており、金属加工されたものもあって、太陽神の化身としてキラキラ輝いていたとか。

オベリスクの語源はギリシャ語で串を指しますが、本来エジプトではテケンと呼ばれていました。
テケンとは、保護や防御を表す言葉。
ピラミッドもオベリスクも魔除けのような役割を持っていたのかもなぁ、などと想いを馳せました。

吉村教授によると、ピラミッドの周辺から王の墓が発見されるかも、と。
すでに調査ははじまっており、その結果が楽しみです。
考古学の調査は息の長いものなので、何年もかかると思いますけどね。

その他には、幕末に、国内の攘夷論に押されてヨーロッパまではるばる赴き、フランス政府に条約の撤廃を交渉した使節団の話も面白かったですね。
一行はエジプトにも立ち寄り、スフィンクスの前で侍の一団が記念撮影している有名なショットを残しているのですが、また、その使節団を率いる池田筑後守がとにかくイケメン!(笑)

結局は、フランスの外交術に翻弄され、更なる開国への条約を結んで帰ってくるのですが、池田筑後守は専横をとがめられ、お役御免となり、歴史の表舞台にでないまま、明治維新を迎え、40過ぎの若さで亡くなります。

ですが、彼が生前に献策していた政策は次々と実現し、使節団のメンバーのなかから近代化に大きく寄与した者も輩出し、その当時、外国を見て、その文明を実感したものが日本の歴史を切り開いてきたんだなぁと、感慨もひとしお。
勝海舟も岩倉具視も、夏目漱石も、盛んに送り出された海外の使節団の一員なのですよね。

池田一行は、最近発見された写真の数々が特に話題を呼んでいました。
また、随行員の日記が相当面白いらしいんですが、この詳細な記録を残した随行員は職業は髪結いで、けして身分の高いエリートでないところが、識字率の高かったという当時の日本を裏付けるようで面白いですね。

明日はおせち作りと、また更なる教育番組のお勉強だろな(苦笑)。
ちょっと絵も描きたいんだけど~💦