V6コンサートレポ、見れました。とりあえず満足です(^-^)。
まだ、別の雑誌で特集されるみたいだし、WOWOWもあるし、この先も楽しみ楽しみ♪
テレステの三宅くんは普通に二十代で通る若々しさで、ホントにここまで来ると超人。
アイドルの鏡ですよね。

俳優としては岡田くんみたいに貫禄ある役はやれないけど、40近いのに学生の役やれそう。

近藤正臣も30くらいで学生服着てピアノ足で弾いてましたけど(知ってる?:笑)、違和感なかったけど。

今だったら千葉雄大君とかそんな感じ?

でも、それ、はるかに凌駕してますからね、三宅君。

いっそ、その特性を生かして、リアル美魔女、ちがった、美魔男子な先生とか演じても面白そう。三宅君にしかできない。

 

ステラはお写真を拝見してすぐ買いました←。

いやもう、カッコいい!

文句なしにカッコいい!

これ、ファンだからとか、私が女だから、とかじゃないですよ。

岡田准一が被写体として芸術品だからですよ!

森田君あたりに、「本気か⁈」と突っ込まれそうだけど。

私はほんとにそう思ってますー。

眉も目も、鼻も唇も、形、完璧だもん。

好きな俳優さんも含めて、いろんな人のお写真見ますけど、どの人も、どんな美男美女もどこか一難あって魅力のあるもんだと思いますけどね、岡田くんは貶すとこないです。

あ。

凸ですかね(笑)。

でもそれも、秀でた額、ということで。

そして、これが大事ですけど、顔の綺麗な人はそれだけの綺麗さですけど、

岡田くんの場合は、品があって知的で渋い。

色気はあるんだけど、あからさまでないのがなんともいいです。

 

記事の内容も含蓄があって、いつも面白いなぁ、と読んでいます。

堂本剛くんは、愛をこめて「容姿は完璧だけど口を開いたら面白くない」と言ったそうですが、

その面白くないとこも面白いです(笑)。

他人受けすることじゃなくて、真正面から言いたいことをきちんと伝える。

人を傷つけないし。

多少、冗長なきらいはあるかもしれませんが、またそこが不器用でいいわぁ(こりゃファン目線だね:笑)。

また、書く字がイマイチ可愛かったり、ちょっとドジだったり、絶妙に隙があるところがまたいいな。

スゴイことをやってのけるのに、ちょっとお世話したくなっちゃう人って、愛されますよね。

 

記事の中で、楠木正成が気になっているという岡田くん。

前から言ってますよね。

私、日本の歴史上の人物で、戦に関しては源義経の次に楠木正成が好きです。

ちなみに、うちに楠木正成の木像があったのでご披露。

 
うちの階段の踊り場で写真撮りましたけど。
顔はちょっと亀ちゃん、四代目市川猿之助みたい。
岡田くん出演作では「天地明察」で数学者の関孝和やってましたね。
 
楠木正成が今廃れてるのにはちょっと戦時中の話絡んでくるからじゃないかしら?
室町幕府を開いた足利尊氏と戦った人で、あくまで後醍醐天皇に忠義を尽くした人なんです。
なので、尊王攘夷思想から、明治~戦前まで天皇への忠義の象徴として重んじられました。
天皇に命じられたら、死ぬとわかっていても出撃したりしたエピソードがあるので。
うちに正成の木像があるのも、そういう戦時中を生き抜いた先代の持ち物だからです。
船長さんだったので、兵隊さん乗せて戦地に赴いたりしてましたから。
戦後、自伝を書くように言われても、自分だけ生き残ってしまった悔恨から戦争の話はしたがらなかったみたいですが、この木像を捨てなかったのは思うところがあったのかもな。
戦後は思想的反動からか正成は悪党とよばれるようになってしまったんですよね。
 
時は鎌倉時代。
天皇家は北朝と南朝の二つに分かれ、それぞれの血統の天皇が交互に即位していました。
後醍醐天皇は、南朝の天皇として即位しますが、鎌倉幕府の仲立で、北朝の天皇に譲位を迫られ、討幕を決意します。
後醍醐天皇のもとには楠木正成や足利尊氏が集い、それぞれに幕府に抵抗し、尊氏が六波羅探題を、新田義貞が鎌倉を落とし、鎌倉幕府は滅亡。
後醍醐天皇は晴れて武家政権に代わって実権を握ることに成功するのです。
ところが、後醍醐天皇の布いた親政は貴族中心の世界を理想としており、武功を上げた武家をないがしろにするものでした。
 
遂に、源氏の棟梁として武家をまとめるために足利尊氏が背き、天皇を守る新田義貞を破りますが、楠木正成に阻まれ、九州に落ち延びるも、翌年、北朝の天皇を擁し、大軍を率いて京に迫ります。
政治的な失敗で、貴族の求心力をも失った後醍醐天皇が勝つためには、正成の進言する奇襲を敢行するしかなかったのですが、戦のわからない貴族の進言を呑んだ天皇の命により、正成はたった七百騎で義貞と共に尊氏に立ち向かわなくてはならなくなるのです。
数十騎になるまで闘い続ける正成ですが、最後は追い詰められ、自決して果てるのでした。
様々な奇策や策略に長け、それでいて清廉な正成に、尊氏は一目置いていたとされ、首は丁重に家族のもとに送り届けられたとか。
 
前に「軍師官兵衛」で若い頃の官兵衛さんが多勢に無勢で、味方を多く見せるために人形置いたり旗をたくさんたてたりしてましたが、これ、正成がやってます。
自分が死んだと見せかけて、偽の首が河原に晒されたりしていたので、ほんとに正成が自刃して首がさらされても、民はちょっと信じないで、実は生きてるんじゃないかと噂したとか。
私には、日本のゲリラ戦の達人というイメージがありますね。
 
ステラの記事、他に岡田くん、井伊直弼を取り上げてますね。
この人、今の大河の虎松君の子孫になりますが、ちょっと生い立ちが徳川吉宗に似てる苦労人です。
井伊家の14男として生まれ、長男以外、養子に行くとかでしか身を立てる術のない時代、14番目ともなると養子の口もなく、30過ぎまで暴れん坊将軍が名乗るみたいに「部屋住み」、つまり、武家や旗本の出だけど、若くして隠居みたいな生活をして世捨て人になってました。
その間、教養を磨き、武道を鍛え、聡明であることが人の口に上るようになったころ、相次いで後継ぎがなくなったため、藩主を引き継ぐことになりました。
このパターンが八代将軍徳川吉宗(つまり暴れん坊将軍)と同じ。
その後、二人とも同じように地元で名君として誉れ高く、井伊直弼は幕府に重用されるようになり、大老に就任するわけです。
 
教科書ではあまりにも安政の大獄から桜田門外の変で暗殺されるまでが、悪いやつみたいで悲惨なんですが、この人なりに江戸幕府を立て直そうとしていたんですよ。
問題は、水戸藩を中心に尊王攘夷の嵐が吹き荒れていたからなんですね。
現実を見ていた直弼は開国派で、避けられない外国からの干渉に対して、なるべくソフトランディングすることを目指していました。
結果的に彼の裁量で天皇の許可なく日米修好通商条約をアメリカと結ぶことになり、尊王攘夷派から大変な反発を受けることになります。
でも、不平等を非難される日米修好通商条約も、よく吟味すれば、この状況下でよく、独立を保った内容を交渉できたと感心する部分もあるんですけどね。
幕府の役人もぼんくらではなかったんです。
で、反対派を押さえつけるために安政の大獄を敢行しますが、遂に暗殺されてしまった、というわけなんですね。
この幕末時代、何がいい悪いかなんて、現代から見ても判然としないことが大半です。
ただみんな、日本の行く末を案じて動いていたんだろうと思うんですけどね…。
ぜひ、プロファイラーでは楠木正成も井伊直弼も取り上げて、歴史について考える契機を作ってほしいと思いますね~。