先日、大河の直虎を見ていて。
それに限らず、なんというか、最近お芝居の重み、というものを念頭において見てみると、本当に、重みのある芝居をする、ということがすごく難しいんだな、とつくづく思ったわけでして。
私は祖母とずっと子供のころから様々な時代劇見て育ちましたから、最近の時代劇は明るすぎるし軽すぎるんです。
過去のものは重い、ってイメージだからね、ほんとは現実はそんなに重いものではないのかもしれないけど。
ヨーロッパルネッサンスの絵画、みなさん、みなああいう渋い色調で絵が描かれてると思うでしょう?
でもね、きちんと科学的な検証の上で再現したものを見たときの衝撃は笑えますよ。
めちゃくちゃ軽やか!
色も鮮やか!
重みのかけらもないっすよ。
造詣の美しさや世界観はそのままですけどね。
岡田くんの演技は重いよね。
若い頃から重いところが凄くある。
無論、軽い演技はかわいいし軽妙で、それはそれですごく個性的でいいんだけど。
その中にも、どこかに重みを潜ませてるのが、演技の深みを与えていていいんだよなぁ、これが。
これは贔屓目ですかのぅ。
例えば木更津キャッツアイとか。
やっぱり、普段軽いのに、親に思うところあり、地に足のつかないぱーぷーな生活をしているゆえに、屈折したところを表現しつつ、なおかつ、死に直面してるところが余すとこなく映し出される。
ひとりの人間のどん底から天井まで演じ切るもんだから、ぶっさんの存在感が半端ない。
唯一、匹敵する存在感はオジーだった気がするけれども。
岡田くんは、いつも後がない、と思って生きているのかな、という気がする。
演技の重みって、覚悟の重みなのかもなぁ、とか思う。
どんな天才でも、天才が努力してても、なんていうか、生き死にもお金も、大抵どうにかなる、ってどこかで思ってる人は重みのある演技はしにくいかもな、とか。
世の中のこれとあれはこうなってて、自分がここでとちると後がないことになるって肝に銘じてる人は重みのある演技になるのかもしれない。
楽天的じゃなくて、貧乏性で悩み症な人が、重みのある演技ができやすいのかも、なーんて。
たけしみたいに、一回死にかけたりすると、その後生み出すものの凄味が、いかにバカバカしくてもバカにできないものになるのかもなァ。
ゴッホも精神病むくらいどん底を味わって、今じゃ100億で売れる絵を生み出したんだし。
フリーダ・カーロも生死をさまようバス事故に遭って子供が産めなくなって、彼女の芸術は完成したのかもしれない。
芸術家で、幸福な人は少ないのかな。
安直な言い方をすると、「魂の叫びが芸術になる」ってことかしら。
人生の深淵をのぞいている人が、重みのある演技ができるのかもしれない。
泥にまみれても、水面の表に咲く花が美しい蓮の花のように、って岡田くん言ってたような気がするけど。
重みのある人ばかりじゃお芝居成り立たないけど。
岡田くんのような演技者は貴重だな、と思ったのでした。
もっとも、何も考えてなくとも、重みのある演技できる人はいると思いますけどね。
岡田くんはね、はしゃいでいるからって幸せとは限らない気がするんだよナァ…。