旦那と一緒に朝一の回で見てきました。

…めちゃくそ面白かった!!

私としては、今まで見た映画の中で、三本の指に入ります。

いろんな映画レビューを見て行きましたが、

セリフが聞き取りづらい

いろいろ不要なシーンがある

忍者が登場する意味が解らない

合戦シーンが迫力不足

恋愛模様は必要だったの?

等々、ネガティブ評判の検証も兼ねて見ましたが、どうしてどうして(笑)!

 

まず、セリフ。

聞き取りづらい?どこが??

確かに、些末な部分のセリフは少し聞き取りにくいところもありましたが、気になるなら後日DVDで鑑賞した時、日本語字幕で見ればよろし。

よほどこだわらなければ別に気にならない。

だいたい、世の映画が、すべてのセリフが全部聞き取れるように言ってるもんじゃないので、私は家で再観賞するときは、日本語のセリフでも日本語字幕付きで鑑賞します。

洋画なら、外国音声で日本語字幕で見るけど。

決め台詞が聞き取れなかったら興を削ぎますが、それはなかったと思いますよ。

 

旦那には敢えて、世間一般以上の情報を入れないで一緒に見ましたけど、旦那もセリフの聴き取りづらさはなかったようです。

むしろ、私も思いましたけど、いつもの原田映画からしたらめっちゃ親切じゃね?と言ってたほど。

司馬遼太郎解説もついてるし、今までよりずっと親切だよ?(笑)

よっぽど「日本のいちばん長い日」の方が、早かったよ、セリフ。

「駆け込み女と駆け出し男」の方が難解だったよ。

要は、このセリフの問題、いかに原田映画を鑑賞したか、初めてか、という差、でしょうかね。

 

不要なシーンについては、そういっている人は、二種類に分かれます。

よくよく、映画のストーリーを噛み砕いた上で、不要じゃないかと提案している場合。

もう一種は、よくわかりもせんくせに、映画の伏線を理解してない場合。

原作と比べて、あのシーンを入れてほしかった、このシーンを入れてほしかった、という要望はよくわかりますが、監督の云いたい事・伝えたいことがわかるなら、このアプローチが納得できるはず。

 

冒頭の司馬遼太郎の子ども時代やナレーションは、今回の映画を語るに非常に気の利いた演出だと思いますね。

意外と、随所に笑いが盛り込まれているので、見てきたように戦国時代を語るじじいと、それに疑問を抱く少年時代の司馬遼太郎の対比は、直結したシーンの秀吉と、彼に見いだされる少年時代の三成こと佐吉の対比と重なって、印象深いシーンとなっています。

 

忍者が登場するのは、戦国としては当たり前のことだし、原作とは違うアプローチの仕方ですが、これはこれでありだと思います。

この批判は、恋愛要素必要?という疑問につながるんですが、今回、初芽が、原作では三成の側室で黒田家の間者である立場から、三成のプラトニックラブの対象となる映画での設定変更に関係していて、なんというかな、この映画は「関ケ原」と名をうってはいますが、つまるところ、石田三成の一代記であるわけで、彼を描く以上、関ケ原の戦いが避けて通れなかったところに要があるというか。

 

この映画では、石田三成という人物を掘り下げて描くとき、初芽は、三条河原で三成自らの信念に反しながらも秀吉の命により処刑しなくてはならなかった婦女子の、いわばシンボルのようなもので、彼女を大切にすることが、彼にとっては義の立つことであるわけですよね。

正室を捨てて、彼女と旅に出たい、と語った三成に「それでは天下をとれない」と感想を述べた人もいましたが、さもあらん、あの映画では、三成は天下を取りたいわけじゃなかったんですよね。

 

また、これは私の感想ですけど、ひょっとして三成は関ケ原の戦いの勝敗には、究極こだわってなかった気もするんです。

彼が何が何でも戦いに勝とうと思うなら、打てる手はもっとたくさんあった。

けれども、彼は敢えてそれをしようとはしなかった。

彼には、勝敗より、義の為に殉じれるかどうかが本来の目的だったのではと思えたり。

自分が負けることも、頭の片隅には計算があったような。

 

無論、その上で勝つための算段を駆使し、蟄居中の五奉行の一人にすぎない彼が、五大老の一人に匹敵する兵力を集め、それに互角に対抗できる戦を仕掛けたことがスゴイことなのが伝わってきますけれども。

全て終わって晒されたときの、小早川秀秋との語らいでわかる気がするんですよね。

秀秋と心が通じ合った後、自分を蔑み嘲りなされ、という澄んだ目が印象的でした。

 

合戦シーン。

迫力不足という人は、「天と地と」の黒と赤のエクスタシー(^^)が忘れられないのでは?

沢山兵士が並んで、武将の合図で一斉に攻撃する、というスタイルは、今まで幾多の映画であったでしょう。

それは確かに素晴らしく絵になる光景だけど、今回の合戦シーンの臨場感たるや。

まるで、自分がそこにいるかのように体験することが可能な映像。

沢山の兵士が激突するのはスペクタクルだけれども、こっちは実際槍で刺される恐怖とか戦場での異常な精神状態や高揚が余すとこなく挑戦的に描かれています。

 

朝鮮からの大砲の名手が登場しますが、これにも反感もつ人がいるようでしたが、能力で人を登用する三成らしくていい演出だと思います。

最後の爆死シーンにも絡んでくるのもいい。

彼らがなんのために戦っていたのか。

左近と三成は戦いの目的が違うのです。

三成は己の義の為に。

左近は、豊臣の政権批判が根底に流れています。

朝鮮出身の兵士が左近と運命を共にするのは、そこに価値観の共有があったからではないでしょうか。

 

石田三成という人物を、今まで、ドラマやらマンガやらでいろいろ見てきましたが、今回は一番納得した三成像でした。

大抵、最初は嫌なやつとして描かれる彼ですが、最後処刑されるときには同情的に扱われることが多かったような気がします。

「軍師官兵衛」では、こちらが違和感を抱くほど、三成が嫌らしく描かれていましたが、最後の処刑の時、「あなたならわかってくれると思う」と官兵衛に言うセリフが腑に落ちなかったんです。この大河ドラマでは、もう少し、三成サイドに立っても話作ってほしかったな。

主人公に対して、悪役が理不尽に偏り過ぎると説得力が失せると思うのです。

キャラクターを悪に徹するあまり、行動原理に矛盾があっては話が成り立たない。

 

今回、徳川家康は思いっきり狡猾な人に描かれていますが、きちんと家康サイドの事情も描かれていて、彼は一方的な悪人ではありません。

あくまで、石田三成にとってヤなやつだった、ということだったのです。

石田三成は、秀吉晩年の悪を背負って生きなくてはならなかった。

家康は、あと一歩で天下人、という立場になった以上、上に上るか真っ逆さまに落ちるしかなかった。

お互い、心のどこかでは避けえない戦いのことをわかっていたような気がします。

天下分け目の関ケ原と言われますが、一方でこの戦いは、石田三成の私戦でもあって、彼が、豊臣の悪を背負って死ななければ、その後の天下泰平はなかったかもしれない。

世を定める、という論理のもとで、三成も家康もそれぞれの立場を全うした、この映画を観るとそんな気持ちにとらわれます。

 

それにしても。

石田三成、カッコよかったなぁ。

滅びゆくものは美しく描かれる。

万国共通に好まれますよね。

負けるのわかってる、結末のわかった戦いに、これだけ心惹かれることがあるでしょうか。

この監督の作品は、「日本のいちばん長い日」でも思いましたけど、当たり前のことを当たり前に描いているのに、新たな発見がある。

心を打つ何かがあるんですよね。

ドキュメンタリータッチですが、完全にフィクションですよ。

でも、その歴史解釈が優しい。

 

私、歴史大好きで、いろんな本を読みますが、最近思うんですよね。

歴史って、フィクションだなぁって。

よく、歴史家が「実際はこうだった」と論理を展開しますが、ポイントでは真実でも行間は結局推論にすぎず、フィクションなんだと思うんです。

歴史家の語る「真実」も、新発見があれば容易に覆ります。

歴史の真実は、石田三成は関ケ原で負けて処刑された、の一言に尽きますが、それを映像にしてこれだけの説得力を持たせてくれた映画を作ってくれたことに、なんだか感謝したい気分です。

旦那も、パンフレットめくりながら、もう一度見に行きたいと独り言ち。

夫婦して、三成を助けに行くんだ~!っていう小早川、いいよね~!って(笑)。

強くて儚い三成、狡猾で腹をくくった家康、翻弄される小早川、その他、そこに本当にいたんじゃないかと説得力を持った全ての演者をもう一度見たいです。

 

 

 

 

岡田三成、よかったなぁ~♡

カッコいいし。

めちゃくそ強いし。

頑固でよく叱られててちゃんということ聞くの可愛いし。

目論み外れたときの、鳩の豆鉄砲みたいな顔、可愛かったし。

普段カッコいいから情けないときのギャップが切ないし。

なんか、箱もって歩いてるの可愛いし。

腹蹴られまくったのに、写ってないし。

縛られてるのがなんか似合ってるし。

やっぱり目が澄んでるし。

とにかく、よかったです。

これはファンとして( *´艸`)