私はギャップが好きです。
だから岡田くんが好きなのかも。
いろいろギャップだらけの人だからです、きっと。
アイドルとして芸能界に入ったのに、格闘技極めちゃったり。
アイドルよりもむしろ俳優だったり。
俳優なのに、アイドル声で歌ったり。
そんな甘い声で歌っときながら、セリフでは貫禄ありまくったり。
顔だけ見てるとわかんないのに、小柄だったり(ごめん)。
数え上げたらきりがないですね。
なので、小説でもドラマでも映画でも、ギャップが好きかもしれません。
海賊では、冷徹な経営者なのにどこか愛嬌があって人間臭かったり。
0では絶対死なないって誓ってるのに、最後自ら死を選んだり。
図書館戦争では冷静な上司なのに、実は部下に恋して命知らずになっちゃう可愛い男性だったり。
「蜩の記」でも監視役だったはずなのに、あれは、絶対あのうちの婿になる(笑)。
「軍師官兵衛」は1年を通して、若い頃、壮年、老年、とギャップをつけて演じてたと思います。
なるほど、と一本筋が通りつつも、思いもよらない行動に出る。
そういうキャラもそれを演じる岡田くんも好きなのかな。
多分、「追憶」も「関ケ原」もキャラの中にギャップを感じると思う。
楽しみです。
で、先日、「嘘の戦争」と「A LIFE」を見たんですが。
「嘘の戦争」は草薙君の中にギャップが見えて面白かったです。
自分が復讐していく相手の中に、利用しながら、相手の長男は入ってなかった。
どこかで気を許して、だましつつも意気投合してる部分があって。
でも、復讐しなくちゃいけない。
その自らの感情との葛藤が、詐欺師と本音のギャップが感じられてすごく面白かった。
復讐したい自分と、したくない自分を示唆していて、その後の展開がすごく楽しみ♪
脚本はギャップを心得てます。
復讐される会長の方も、腹黒くも、いかにも人間臭い。(ありえないくらい隙だらけっていうか―:笑)
ただ、このまんまだと、みんなが行き当たりばったりで、何なんだ、ってことになるので、ストーリーは最後までにもうひとひねりほしいところですね。
「A LIFE」の方は、相変わらず、松ケンがいい味出してます。
最初から気になってた菜々緒演じる弁護士も、すごく共感できる。
ストーリー当初は日和見主義とみられたミッチーも、男気出してきて、思わず応援したくなる。
しかしね、この話の主人公はキムタクなんですよね。
そして、ヒロインは竹内結子なんですよね。
キムタクはともかく、ヒロインが、なんか私は共感できないキャラになってて、ストーリーに入り込めないんですよねぇ。私的にはちょっとヤな女になっちゃってるんですよ。
このヒロインが、見てる人の大方が「助けてあげたい!」って思うキャラじゃないと、キムタクに感情移入しにくいんじゃないかなぁ。
このヒロインが、旦那さんと幸せな結婚生活送るために、陰ながら愛しているだろうキムタクが、彼女の病を治す、ってのが大筋なんじゃないでしょうか。
ところが、竹内結子のみならず、その旦那こと浅野忠信が、ちょっとやそっと、子供時代のトラウマを語られたくらいじゃ救済されないくらいワルになっちゃってる。
文句つけるついでに言えば、キムタクも、松ケン励ますときはもっと優しく励ましてほしかったな。
あれじゃ、手術中、思わぬ事態に固まる松ケンが、ちゃんとできるかどうか見極めてるのかわからないので、ただ「できるだろ!」って無理強いしてるようにも見えてしまう。
どうも、私的には「A LIFE」の脚本は突っ込んでしまいますね。
キムタクは、とびとびで、ロンバケあたりから見ているんですけど。
ロンバケとかHEROとかのキムタクはカッコよかった♡
でも、なんか、うまく言えないんですけど、「華麗なる一族」とか「南極大陸」のキムタクは好きじゃなかったんだよな~。なんか違う!って…。
話は変わりますが、今、次の本に移る前に、読みかけの「名画の謎 聖書編」を読んでます。
これが、皮肉とユーモアにあふれた面白い本で。
様々な、聖書にちなんだ名画について解説してくれる本なんですけど、異教徒としての目線から語ってくれるので、いろいろな矛盾を突いていてるんですよね。
例えば、聖書でカインとアベルのお話が出てきます。
カインとアベルは、最初の人間、アダムとイブの息子たちです。
その逸話で、神はなぜか羊飼いの弟アベルを溺愛し、農耕にいそしむカインの捧げものを無下にします。アベルに嫉妬したカインは弟を誘い出して殺害し、人類最初の殺人者が誕生するわけですが、神に咎められたカインは懇願します。
「私を見つけたものは私を蔑み迫害するでしょう。どうかそうならないようにしてください」
神は、カインに印をつけ、彼を殺せば、その七倍の報復をもたらすことを約束する。
矛盾しているのは、その時、人類は、アダムとイブ、カインしかいないのに、その後、カインがどこからか妻を見つけてきて一族郎党を増やし、引き連れて放浪するくだり。
「ビックリだ!」と、皮肉を込めて突っ込まれると、思わず笑わずにはおれないというか。
この本は万事その調子。
室町時代に来日したフランシスコ・ザビエルは、一説によると「日本人ほどキリスト教化の難しい民族はいない」とぼやいたとか。
説教すると、必ず、矛盾点を突いて質問してくる。
日本では、神は横暴だし思い通りにならないもので、日々の安泰を願って祀るものの、聞いてくれたらしめたもの、くらいに思っていると思うんですけど。
その点、キリスト教の神と変わらない気もしますが、その代わり、キリスト教と違って、聞かない代わりに無理強いもしない。
日本における宗教の自由さは、今も昔も変わらないんですよね。
宗教観が、一神教の宗教とは相いれない感じがします。
神道はともかく、その点、仏教は哲学的ですから、日本人の気風にあってるのかもしれません。矛盾があれば、己が納得するまで追求することが可能ですから。
禅宗における禅問答とかなぞかけがスゴイですよね。
答えも一つではないと思うので。
その考える過程が、哲学であり宗教であるわけで。生き方の追求だったりしますよね。
キリスト教では、神学で矛盾を突くと、究極、信仰心が足りないって扱われかねないような気がします。神のいうことは絶対。疑いを抱くことは悪なんですね。
聖書を、特に新約聖書を読むと、素直に、みんなキリストの言うとおりに教義を守ってれば、世界は平和なんじゃないかと思いますけどねぇ。
そういえば、岡田君は、年に一回、宮本武蔵の「五輪書」を読み返すんだ、って言ってました。
図書館戦争のプロモーションの時ですかね。
私も、描かせてもらってる漫画の資料で読む必要があったので目を通しました。
書かれていることの真実はとても深いし、基本実践書なので、私のような頭でっかちじゃなく、武道をやってる人でないと、もっと深いことは実感できないんだろうなぁ、って思いましたが、五輪書の境地は、禅に通じるものがあるんですよね。
剣禅一致の境地というものがあるらしく、昔の剣豪の精神状態は禅を極めるようなものであったらしい。
禅っていうのは、座禅を組んでいるとき、ひたすら「今」に集中して、精神的なリラックスや感覚の鋭さを感じるものらしいですが、その、何にもとらわれず、自分をニュートラルな位置に置くことで、最大限の能力を発揮できる、という感じらしいです。
ふと、岡田くんが、頭おかしくなるくらい脚本読んだり演技を考えたりするけど、いざ、演技するときはすべて忘れて挑む、っていうのが、ひょっとしてそれに通じる境地なんじゃないかと、興味深く思いました。