「海賊とよばれた男」を見て、無性に「永遠の0」を見たくなったわたくしでしたが、昨日から柳田邦男の「零式戦闘機」という本を読んでました。
前に、岡田くん表紙のAERAをアマゾンで購入するとき、抱き合わせで購入した一冊です。
航空機に詳しい著者、柳田邦男が、零戦の設計者、堀越二郎に直接取材し、その当時の文献や事故記録を詳細に調べ上げ、描き上げたノンフィクション。
あまりの面白さに、昨夜も遅くまで読んでしまい、今日は思ったより仕事が早くはかどったので、つい続きを読了。
話は、若き堀越氏が三菱重工で抜擢され、七試艦戦の設計を任され、その失敗をもとに九試艦戦(九六式艦戦)の飛躍的な性能向上に成功し、それをたたき台に、零戦の開発に成功するという流れ。
七試艦戦は、その当時、戦闘機の設計は外国から招いた設計者に頼ることが多かったなか、日本人設計者による、国産エンジンの、純正国産戦闘機の先駆けなのでした。
その機では思ったような性能は得られなかったものの、その失敗をもとに設計の改良を重ね、遂に次の九六式艦戦(艦上戦闘機)で西欧やアメリカと肩を並べる性能を得ることに成功します。
満を期して、スピードも空戦能力も飛行持続力も、全てのいいとこどりを望まれて、万能戦闘機一二試艦戦、後の零戦の設計を任されるのです。
飛行機の開発が、いかに試行錯誤の繰り返しであるのか、この本で嫌というほど思い知らされましたが、様々な壁を、日本人気質の細部までのこだわりと、目的のために他を切り捨てても追及する開発過程を経て、遂に零戦が誕生します。
攻撃を重視するあまり、防御を全く顧みない設計ではありましたが、当時、その性能に匹敵する飛行機は存在しませんでした。
その頃、日本は日中戦争で戦況が行き詰っていましたが、わずか十数機の零戦の投入により、中国空軍に対して圧倒的な制空権を得ます。
けれども、この零戦の能力をアメリカはまだ知る由もありませんでした。
日本がアメリカを超える性能を持つ戦闘機を開発できると思っていなかったのです。
アメリカが、零戦を初めて知ったのは真珠湾攻撃においてでした…。
これを読むと、「永遠の0」は零戦の栄光と衰退を宮部の人生に重ねているかのように思われます。結局、戦争中、主力戦闘機は零戦のままだったからですね。
映画の宮部登場は零戦の実践投入初期の頃で、その後、真珠湾攻撃に参加します。
零戦はその後、その性能を上回る機体を開発することができずに、そのまま改良を重ねるのみで戦争末期の特攻へと追い込まれていくのです。
「永遠の0」を見るまでは、ろくに零戦について知りませんでしたし、興味もありませんでした。
零戦は特攻とあまりにもイメージ的に固く結びついていて、好きな人は夢見るように語るけど、結局は殺戮兵器なのだ、と思ってましたね。
乗っている人も、その当時の軍国主義に染まって、自ら命を捨てる、ある種の狂気の軍人なんだと思っていました。
確かに、客観的に見れば、ある種、その認識の言い方もできるかも、と思います。
でも、当時の人たちは、置かれた状況が今の日本人と違っていただけで、多分、本質は変わらないんですよね。
今の日本人も、そういう時代にそういう状況におかれたら同じ行動をとりそうな気がします。
「永遠の0」を見て、そう思わされましたね。
実戦配備されたばかりの零戦は、その当時のほかの飛行機の追随を許さない空戦性能と強力な火器をそなえ、まさに敵なしの状態でした。
そのことは、海軍に要望された性能を実現したことに達成感を抱く堀越でさえ、複雑な思いを抱いていたのです。
もし、零戦の開発に成功しなかったら、膠着状態になりつつある中国戦線と、圧力を強めつつあるアメリカに対して、日本がバクチを打つ気を起こさないですんだかも。
話の最後で、堀越は「アメリカに、石油なしで勝てるわけがない」と一人ごちています。
技術者として、アメリカの底力を堀越自身もよくわかっていたのです。
「海賊とよばれた男」で鐵蔵が「日本は石油をめぐる戦いに敗れた」と冒頭の演説で述べますが、ほんとにここでつながってきますね。
この当時の日本を破滅的な戦争に導いたものって、それは、明治以降、負けることのなかった日本の戦果、でもその内容をよく知りもしないで高揚していた国民にもあると思うんですよね。
どの戦争も、多大な犠牲を払って勝ち取っているんです。
いつも、切ないほどにギリギリで勝っているんですよ。
その本質をもっと冷静に見つめるべきだったと思うんです。
今はもう、苦い昔の轍を踏まないように、過去への責任をもって、二度と平和な世の中を損なわないよう、気をつけたいですね。
こういうこと考えると、0の宮部さんと歩道橋の上の春馬君の邂逅を思い出します。
宮部さーん、うちの子たちにもしっかり言っとくから!
あーん、でも、生きててほしかったなぁ~(´;ω;`)