昨日、仕事しながら、録画していたBS歴史館の伊能忠敬を聞いていて、思い出したのが天地明察でした。

 

伊能忠敬は、歴史の教科書に載ってますが、初めて正確な日本全体の地図を作った人ですね。

幕末にそれを目にした外国人が、あまりの精密さに、日本に自分たちに劣らない文明があることを悟ったとか。

幕府は、その地図をもってして、日本の領土を海外に知らしめたわけです。

伊能忠敬は、50代までは事業に邁進し一財産を築いたのですが、隠居してから、前からやりたかった天文学の修行しに江戸に出てきます。

そこから、幕府の天文方の学者に弟子入りし、測量の技術を学んで、地球の正確な大きさを追求しました。

日本地図はその副産物だったのです。

私費を投じて日本全国を歩き回って測量すること17年。

途中で幕府の後押しを得、各地で測量の技術も伝授しながら、日本地図を完成させました。

それをもとに算出した地球の大きさは誤差1/1000の正確なものだったそうです。

 

それを幕末に国外に持ち出そうとした日本通のドイツ人シーボルトさんは国外追放の憂き目にあってしまいます。いわゆるシーボルト事件ですが、この人、その後、日本開国後は日本政府の顧問になったり、オランダで日本展など開催して、生涯日本とのつながりを持ち続けました。

息子さんたちも通訳したり日本人の女性と結婚したり、どっぷり日本に漬かった一家だったようです。

 

で、伊能忠敬に測量術を教えた天文方ですが、この初代が渋川春海こと「天地明察」の安井算哲なわけなんです。

伊能忠敬は、地図によって日本の領土と独立性を海外に示すことになりましたが、算哲は日本独自の暦を編み出しましたよね、これが、また日本の独立性を示す大切なものだったんです。

古文書を読み解き、「武士の家計簿」等で有名な磯田さん(前に岡田君のラジオに出てらしてましたよね)は、当時、中国の支配は年号と暦を朝貢してくる国に与えることであったと。

独自の暦を編み出すことに成功した日本は、その点中国と対等になることに成功したわけです。

 

それを踏まえてあの映画を思い出すと、あまりヒットとは言えなかったものの、すごく有意義な映画だったんだなぁ、と感慨深く思いました。

碁もね、私はいまだにルールがよくわかんないんだけど、高度なゲームらしいんですね。

安井算哲は天文方を打ち立てましたが、それまでは幕府の碁打ちでしたよね。

徳川家康が碁が好きだったために、碁を追求する家がいくつかあったわけなんです、江戸時代には。

「海賊とよばれた男」の原作者、百田尚樹の年末に出版の新作「幻庵」は、この碁に命を賭ける男のお話とのことで。

お話の前書きを百田さんがYouTubeで紹介してくれましたが、よく、チェスとか将棋ではAIに人間が負けちゃうようになりましたよね。

直近のニュースで、ついに碁でもAIが人間を制した、って話題になったんですが、この碁、最初、チェスとか将棋の感じでルールをAIに理解させようとしたんですが、なかなかうまくいかなかったそうなんです。

現代の碁打ちはAIに負けてしまいましたが、江戸時代、碁を追及していた碁打ちの名人たちは、今の名人にも思いもよらないような神の一手を持っていたようで、彼らがいたら、AIに負けなかったんじゃないか、って話ですね。

どうなんだろう、と思いつつ、興味深い話です。

 

私、ときどき、YouTubeで百田さんのニュース聞きますが、今週は「海賊とよばれた男」の補足説明がありました。

日本は戦後の復興で、世界と比較して、安い石油をつかえたからこそ、高度成長につながったんじゃないか、という話で。

その安い石油というのが、かかる輸送費の安さ、ということだったと。

当時、スエズ運河を大型タンカーが通過できない時代だったので、アメリカやヨーロッパに比べて、日本から中東に行く航路は世界最短だったんですね。

物流コストの安い石油を日本にもたらしたのは、出光の功績だ、という概容でした。

 

こう思うと、「海賊とよばれた男」も日本のターニングポイントを描いた映画だったんだなぁと。

「天地明察」に続き、そういったお話の主演をする岡田君はすごいな、とかファンとして思ったわけでした。

ファンになったからいろいろ勉強になったしねぇ。

岡田くん、ありがとう~(笑)