これは主人の祖父に当たる人が船長をしていた船の写真。
いつもなにげなく飾られているので気にも留めていなかったけれど、姑から祖父の戦争体験など聞くと、なかなか壮絶だ。
戦時中は、一般の船も戦地まで軍人を運んで行ったりするので、たまに被弾して船の沈むことがある。
危険は承知で仕事をするのだけれども、やはり、そういう羽目に陥ったときは、妻子ある若い船員を先に逃がし、自分は船長として最後に船を下りるか、船と運命を共にする覚悟だったらしい。
けれども、時には、先に逃がした船員の救命ボートが沈められてしまい、自分だけ生き残ってしまうこともあった。
姑の言うには、戦後、祖父に命を助けられた若い船員などが感謝して訪ねてくることもあったけれども、当時のことを思い出したくない祖父は思い出話には応じず、奥に入ってしまったとのこと。
船の男の覚悟は尋常ではないもののようで、先日、岡田くん表紙のAERAとともに取り寄せた本の一冊に、巨大タンカーの船長の記録なども載っているのだけれども、巨船の操船は並大抵のことではないことがよくわかった。
全力でブレーキをかけても、止まるまで20キロ近く航行してしまう、舵を効かせて曲がろうとしても、実際曲がりはじめるのは500m進んでから。
想像を絶する操船の難しさで、これは1980年当時の話だけれど、今はどうなんだろうか。
当時は、イラン・イラク戦争の真っただ中で、ペルシャ湾に赴く船は常に命の危険にさらされていた。
嵐で積み荷に被害を及ぼした船長は、責任を取って武士のように割腹自殺した、という記録もあるらしい。
こういう話を聞くと、本当に日章丸事件というのがものすごい事件であったことが分かる気がする。
世界でも有数の巨大タンカーを操船するだけでも大変なことなのに、イギリス海軍が展開する海域に、その意に反して丸腰で石油を取りに行くのだから。
実際出光では、その当時の国際情勢をしっかりと把握したうえで、ある程度の勝算があって派遣したのだとは思うけど、バクチであることに変わりない。
メジャーに吸収されず、そこまでの勝負に出て守り続けたものも、今度の出光と昭和シェルの合併で失われてしまうのかもしれない。
「海賊とよばれた男」という映画は、本当に後世に残しておくべき、それに足る映画だと思う。
小説未読の人は、映画を入り口にしてぜひ読んでもらいたい。
追記:写真は祖父の乗っていたものではありませんでした、すみません💦!
姑によると、おそらく、義父(船のコックさん)は乗ったことのある、大阪商船三井船舶のコンテナ船であろうとのことです。
祖父の船はもっと古いはずだもんね(^^;)。祖父は三井船舶の船長でした。
写真当時は大阪商船と三井船舶が合併し、大阪商船三井船舶となっていました。
日本にとって、北極海航路はエネルギー輸送の面で挑戦的な分野なのですが、
現在、会社はさらに合併を繰り返し、商船三井として、北極海航路のプロジェクトに参画しているとのこと。
もう、うちに船乗りさんはいませんが、感慨深いものがあります。