岡田くんの服装のことです。
まだ、ファンになって日の浅い私ですが、昨年からプライベートのお洋服、コンサートの裏方見ても、週刊誌にとられた複数のお写真見ても、なんかいつも同じ服なんじゃないかな、という印象が。
黒のシンプルなキャスケット風の帽子にブルーの同じスニーカー、同じ破れ目のジーンズにトップスもいつも変わり映えしない黒か紺みたいな。
いつも同じカッコなので、この衣装にファンは反応しそうなくらいトレードマークになってる気がします(笑)。
何着も同じ服持ってる口かしら…。
実家の母が、服を買うと見せてくれるのですが、うれしそうな本人には悪いんだけど、いつも同じ服買ってるような気がしちゃうんだよね…(笑)。
芸能人って、プライベートもおしゃれだったりカッコよかったりすると思うんだけど、なんか岡田君はいつも地味ですよね。
いつか、週刊誌が「追憶」撮影中の岡田君を宮崎あおい目当てなのかホテルに張り込んで記事にしてたことがあったけど、ホテルを出た岡田君、途中のベンチでタバコくゆらして、普通の不精髭生えたおっさん的な感じで、近くを通り過ぎる女子高生の一団にも、まったく目もくれられず…(笑)。
最後はコンビニで栄養ドリンクをグビッ。
記事にする方もする方だけど…(苦笑)。
それで買わされてしまう私ら一般ピープルって、なんか、苦笑するしかありません。
スキャンダルを持ってると、もっとこそこそした感じになるはずなんだけど、全然堂々としてて、演技にしろ自然体にしろ、私の中ではかえってお株の上がる感じです。
このままこの調子で、週刊誌から逃れてキャリアを積み上げていってほしいですね。
最近、頓に思うんですけど、世の中にあふれてる情報やネットの記事って、嘘かホントか究極はどっちでもいい見たくなってるみたいなんですよね。
無論、真実を報道するのがマスコミの役目ですけど、経済の仕組みとして、お金儲けと言っていいか、あやふやな記事でも人が手にとってみてくれるなら垂れ流す、っての、多い気がします。
んで、そういった情報の中から、読者は本当のことはなにか、本当の問題点は何なのか、取捨択一しなくてはいけないと思うんですよ。
また、最近、いえ、昔っからそうなのかな?テレビかけてて、興味ないニュースなのに、一斉にどの局でもやってることありません?
まるで、そのニュースを流さないと損するみたいに、どの局も同じ情報流してたりして、同じ事件だけど、それぞれのソースで違う見方で流したりすればいいのに、どれも判を押したように同じだったりして。
全くつまりません。
世の中、たくさんの情報にあふれていて、報道しなくてはいけないこと、注意を喚起しなくてはいけないこともあふれているのに、同じ情報に沢山の局や新聞が時間を割いていることがとても無駄に感じますね。
同じことを取材してても、判で押したように同じこと言わないで、それぞれ独自の視点で取材して報道してほしいものです。
それぞれの事件に対して含蓄があると、その背後のことまで踏み込んで取材することになりますから、より興味深い報道になると思います。
私、最近、辛坊さんと池上さんのニュース解説が好きでよく聞きますけど、むろんほかの人もたくさん聞いての感想ですが、特にこのお二方はいろいろとご存じでわかりやすく、しかも独自の視点をお持ちなので、興味深いです。
ほかの方はご自分の独自の視点を語りすぎるか、一般論で終わってしまいます。
偏ってるのはまぁ、それはそれで面白いんですが、上記お二方は、一般的なものの見方として切って捨てた上で、あえて自分の見方も示してくれる。
一粒で二度おいしい方々なのです。
それでいうと、永遠の0や海賊と呼ばれた男の著者・百田さんも面白い人で、いろいろ思ったまま口にされる方なので誤解を招きやすいけど、ほんとにいろいろなことをご存じで、しかもそれはジャーナリストではないですから、とらえ方がストーリーのネタみたいな感じだと思うんですよ。
辛坊さんや池上さんは特定の人に肩入れしないけど、百田さんは劇的な人物を通して歴史を見ることの多い方のような気がしました。
若干ヒロイズムの入ってる気がするのですけど、だからこそ、面白い小説がお書きになれるのでしょうね。
また、ご自分で好きにしゃべってらっしゃるときは、反発や批判を恐れずお話になるのでたまにとんでもない論理になってたりしますが(笑)、こと小説に対しては真摯で、万人に受け入れやすく、また、この時代に必要なことを書く、ということを信念としてお持ちのようで、それを訴えるための公平な作品になっていると思います。
よく、永遠の0をもって右翼的な思想と思う方もいるんですが、右翼も左翼も過激になりすぎたら危険な思想ですけど、この場合はむしろそんなに右翼でもないと思うんですよ。
私も昔っから第二次世界大戦当時の日本の歴史を警戒していたんですけど、悪しき歴史を忘れたいがために目を背けるのはまずいと思っています。
なんかね、第二次世界大戦当時の日本人だけが野蛮で残虐だったりっていうのは誤解だと思うんです。
多分、今も昔も日本人の特質って変わってない気がするんですよね…。
いろいろ調べていくと、たまたま今が平和の方にベクトルの向いてる世論だからこそ、日本人も平和でいられているというか。
第二次世界大戦当時の世界の空気が、その当時の日本の空気と化学反応を起こしてそういう行動に走らせた部分があると思うんですよね。
例えば、6年前の東日本震災の時ですが、その時、みんなお祭り騒ぎをする人は村八分でした。
電気を節約しない人も肩身が狭かったし、みんな協力しないといけない時なのに何やってんの的な空気が日本列島を覆ってましたよね。
それはそれでいい方向に進んだ連帯感なので素晴らしいと思うんですが、戦時中の欲しがりません、勝つまでは、というベクトルに進んじゃった時、今の日本だって昔と同じようにならんとも限らないと思うんですよ。
自然とだれも、マイナスなことは言えなくなる。
逆に言えば、今の日本人だって、追い詰められたら日本一丸となって間違った道を歩む可能性も否定できないということのような気がします。
だからこそ、戦争の時代のことは語り継いでいかないといけない。
今までの歴史を見ていて、平和な時代が何百年と続いても必ず戦争の時代はやってくると思います。
そんなとき、語り継がれた悲劇の記憶がきちんとあったら、もしかして二の舞は防げるのでは、と望みを感じているのです。
また、情報を正しくきちんと受け止めて踊らされない覚悟も必要だと思います。
人間て正義になったとき、もっとも残酷になれる生き物だと思うんですよね。
常に、自分に疑問を持って生きていきたいです。
まだ、ファンになって日の浅い私ですが、昨年からプライベートのお洋服、コンサートの裏方見ても、週刊誌にとられた複数のお写真見ても、なんかいつも同じ服なんじゃないかな、という印象が。
黒のシンプルなキャスケット風の帽子にブルーの同じスニーカー、同じ破れ目のジーンズにトップスもいつも変わり映えしない黒か紺みたいな。
いつも同じカッコなので、この衣装にファンは反応しそうなくらいトレードマークになってる気がします(笑)。
何着も同じ服持ってる口かしら…。
実家の母が、服を買うと見せてくれるのですが、うれしそうな本人には悪いんだけど、いつも同じ服買ってるような気がしちゃうんだよね…(笑)。
芸能人って、プライベートもおしゃれだったりカッコよかったりすると思うんだけど、なんか岡田君はいつも地味ですよね。
いつか、週刊誌が「追憶」撮影中の岡田君を宮崎あおい目当てなのかホテルに張り込んで記事にしてたことがあったけど、ホテルを出た岡田君、途中のベンチでタバコくゆらして、普通の不精髭生えたおっさん的な感じで、近くを通り過ぎる女子高生の一団にも、まったく目もくれられず…(笑)。
最後はコンビニで栄養ドリンクをグビッ。
記事にする方もする方だけど…(苦笑)。
それで買わされてしまう私ら一般ピープルって、なんか、苦笑するしかありません。
スキャンダルを持ってると、もっとこそこそした感じになるはずなんだけど、全然堂々としてて、演技にしろ自然体にしろ、私の中ではかえってお株の上がる感じです。
このままこの調子で、週刊誌から逃れてキャリアを積み上げていってほしいですね。
最近、頓に思うんですけど、世の中にあふれてる情報やネットの記事って、嘘かホントか究極はどっちでもいい見たくなってるみたいなんですよね。
無論、真実を報道するのがマスコミの役目ですけど、経済の仕組みとして、お金儲けと言っていいか、あやふやな記事でも人が手にとってみてくれるなら垂れ流す、っての、多い気がします。
んで、そういった情報の中から、読者は本当のことはなにか、本当の問題点は何なのか、取捨択一しなくてはいけないと思うんですよ。
また、最近、いえ、昔っからそうなのかな?テレビかけてて、興味ないニュースなのに、一斉にどの局でもやってることありません?
まるで、そのニュースを流さないと損するみたいに、どの局も同じ情報流してたりして、同じ事件だけど、それぞれのソースで違う見方で流したりすればいいのに、どれも判を押したように同じだったりして。
全くつまりません。
世の中、たくさんの情報にあふれていて、報道しなくてはいけないこと、注意を喚起しなくてはいけないこともあふれているのに、同じ情報に沢山の局や新聞が時間を割いていることがとても無駄に感じますね。
同じことを取材してても、判で押したように同じこと言わないで、それぞれ独自の視点で取材して報道してほしいものです。
それぞれの事件に対して含蓄があると、その背後のことまで踏み込んで取材することになりますから、より興味深い報道になると思います。
私、最近、辛坊さんと池上さんのニュース解説が好きでよく聞きますけど、むろんほかの人もたくさん聞いての感想ですが、特にこのお二方はいろいろとご存じでわかりやすく、しかも独自の視点をお持ちなので、興味深いです。
ほかの方はご自分の独自の視点を語りすぎるか、一般論で終わってしまいます。
偏ってるのはまぁ、それはそれで面白いんですが、上記お二方は、一般的なものの見方として切って捨てた上で、あえて自分の見方も示してくれる。
一粒で二度おいしい方々なのです。
それでいうと、永遠の0や海賊と呼ばれた男の著者・百田さんも面白い人で、いろいろ思ったまま口にされる方なので誤解を招きやすいけど、ほんとにいろいろなことをご存じで、しかもそれはジャーナリストではないですから、とらえ方がストーリーのネタみたいな感じだと思うんですよ。
辛坊さんや池上さんは特定の人に肩入れしないけど、百田さんは劇的な人物を通して歴史を見ることの多い方のような気がしました。
若干ヒロイズムの入ってる気がするのですけど、だからこそ、面白い小説がお書きになれるのでしょうね。
また、ご自分で好きにしゃべってらっしゃるときは、反発や批判を恐れずお話になるのでたまにとんでもない論理になってたりしますが(笑)、こと小説に対しては真摯で、万人に受け入れやすく、また、この時代に必要なことを書く、ということを信念としてお持ちのようで、それを訴えるための公平な作品になっていると思います。
よく、永遠の0をもって右翼的な思想と思う方もいるんですが、右翼も左翼も過激になりすぎたら危険な思想ですけど、この場合はむしろそんなに右翼でもないと思うんですよ。
私も昔っから第二次世界大戦当時の日本の歴史を警戒していたんですけど、悪しき歴史を忘れたいがために目を背けるのはまずいと思っています。
なんかね、第二次世界大戦当時の日本人だけが野蛮で残虐だったりっていうのは誤解だと思うんです。
多分、今も昔も日本人の特質って変わってない気がするんですよね…。
いろいろ調べていくと、たまたま今が平和の方にベクトルの向いてる世論だからこそ、日本人も平和でいられているというか。
第二次世界大戦当時の世界の空気が、その当時の日本の空気と化学反応を起こしてそういう行動に走らせた部分があると思うんですよね。
例えば、6年前の東日本震災の時ですが、その時、みんなお祭り騒ぎをする人は村八分でした。
電気を節約しない人も肩身が狭かったし、みんな協力しないといけない時なのに何やってんの的な空気が日本列島を覆ってましたよね。
それはそれでいい方向に進んだ連帯感なので素晴らしいと思うんですが、戦時中の欲しがりません、勝つまでは、というベクトルに進んじゃった時、今の日本だって昔と同じようにならんとも限らないと思うんですよ。
自然とだれも、マイナスなことは言えなくなる。
逆に言えば、今の日本人だって、追い詰められたら日本一丸となって間違った道を歩む可能性も否定できないということのような気がします。
だからこそ、戦争の時代のことは語り継いでいかないといけない。
今までの歴史を見ていて、平和な時代が何百年と続いても必ず戦争の時代はやってくると思います。
そんなとき、語り継がれた悲劇の記憶がきちんとあったら、もしかして二の舞は防げるのでは、と望みを感じているのです。
また、情報を正しくきちんと受け止めて踊らされない覚悟も必要だと思います。
人間て正義になったとき、もっとも残酷になれる生き物だと思うんですよね。
常に、自分に疑問を持って生きていきたいです。