縁によって芽を吹く | アバウト福田のこんな感じ

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インターネット活用コーチ 福田浩です。
コーチングのこと、インターネットのことなど、思いつくままにお話しします。

夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^o^)

 

姪っ子が、友達から貰ったチョコを出してきました。

最近のバレンタインデーは女の子同士でもチョコを交換するそうです。

男の子からは貰わないんだそうですね。ホワイトデーはどうするんだろう。

 

それぞれに工夫を凝らしていますね。

バレンタインデーというと、男の子が女の子からチョコを貰えるかとドキドキする日だと思っていましたが、女の子同士というのもアリかな(^_-)

 

さて、十牛図ですが、今、読んでいるのは、二番目の見跡というところ。

牛の足跡を見つけたという場面です。

 

「牛の足跡を見つけた」というのは、経典を読んだり、話を聞いたりという、「コトバに出会った」ということです。

 

仏教では、真理に到達するためには、次の4つの段階を経なければならないと言っています。

  1. 良き師(善知識)に会う
  2. 教えを正しく聞く(正聞)
  3. 聞いたことを理に従って考える(如理作意)
  4. 真理に到達する(涅槃と菩提)

良き師とは、人かも知れませんし、一冊の本かも知れない。

「牛を探す」ということの第一歩は、善知識を捜す旅なのかも知れません。

 

そう思って振り返ってみると、僕もずいぶんとたくさんの善知識に出会ってきたことに気付きます。感謝の念に堪えません。

 

「正聞薫習」という言葉に出会いました。

仏教に「唯識」という考え方が有ります。その中に正聞薫習という考え方があるそうです。

 

人は誰でも深層心理(阿頼耶識)の中に可能性の種(本有種子)を持っているんだそうです。

そこに水や肥料のような「縁」を与えることで種から芽が吹きます。

その縁が、ここでは「正聞薫習」、正しい教えを正しく聞く、それを繰り返し薫じつける。

 

そして、「如理作意」 理に従って考える。

 

この「如理作意」と言うのが面白くって。

語源は「子宮から考える」という意味なんだそうです。

 

論理的に考える。コトバとして考える時

僕たちは「私」と「コトバ」を分けて考えていないか。

自分の外にある「概念」として考えて居ないか。

 

この本にある例で言うと、「一本の鉛筆」を見るとき、「これは鉛筆である」とコトバにしたとたんに、「鉛筆」というコトバの影に、今目の前にある、あるがままの「鉛筆」は隠れてしまう。

 

この本で、良い表現に出会いました。

それは「成り切る」という表現です。

 

「子宮から考える」

「私」と「それ」が別れる前、一体としてあるように考える。

例えば、アドラー心理学を学ぶのであれば、学校の授業のように外部的な概念として、ただ知識を増やすために学ぶのでは無く、「アドラー心理学に成り切る」「アドラー心理学を生きる」という学び方。

そのために正聞薫習、正しい教えを正しく聞く、それを繰り返し薫じつける。

 

このブログで何度も紹介した、僕の大好きな言葉。

「学ぶことの唯一の証しは変わることである」

 

そういう学び方が、出来れば良いなぁと思います。