夢をカタチに インターネット活用コーチの福田浩です(^^)/
今日は、仕事をいっぱいしなければならなかったのですが、昨日購入した「嫌われる勇気」という本が気になって、スターバックスで読んでいました。
ゆっくり読んでいると、甥っ子から電話があって、急遽お買い物。
全部はまだ読めていません。
もうちょっとね。分かってきたら、このブログでも紹介したいと思います。
哲人と青年との会話と言うことで、文章はね。プラトンの対話篇みたいな感じです。
取っつきにくいと感じた方は、「アドラー一歩踏み出す勇気」の方が読みやすいので、まずこちらをお読みになると、分かりやすいかも知れません。
いつも思うんですけどね。
もしこれを去年の今頃読んでいたら、一昨年の今頃読んでいたら、って考えるとね。
おそらく目にも入らなかったでしょうし、読んでいたとしても違った読み方をしていたでしょう。
この時期にね。どこの本屋さんでも平積みしているような形で、この本が出るというのは、僕個人にとっては、スゴいタイミングだなぁって思うんですよ。
いや、技術的なね。僕も一応、技術者ですから。技術的なものとか文献や情報とか、そういうものもね。なんか都合の良いときに出て来る。
何なのかなぁ。僕はねぇ。自分はスゴく運が良い人だと、実は思っています。
人との出会い、モノとの出会い、そういうものがちゃんと用意されている気がするんですよね。
まぁ、それはね。それとして。
アドラーのことは、まだ自分の中では書けないのですが、読んでいてちょっと思い出した話をしたいと思います。
こんな話があるんですね。
お釈迦様のお弟子さんに、とても理屈っぽい人がいたんだそうです。
この世界は本当に実在しているのか、それとも本当は実在していないのか。
世界は有限なのか無限なのか。
世界は創造されたものか、そうではないのか。
世界には結局いかなる目的があるのか。
人間は死んだらどうなるのか。
修行すれば死後になんらかの仕方で生き続けるのか。その場合はどんな形で生き続けるのか。
それが分からないと修行に打ち込めない。と言うわけです。
それに対して、お釈迦様は、こんなお答えをされたんだそうですね。
ある時、人が毒矢に射られたとする。
ところが、もしもその人が、かけつけてくれた医者に対して、
「この矢を射たのは一体だれであるのか。
弓はどのようなものであるのか。
弦は何でできているのか。
矢羽は、どんな鳥の羽であるのか
それが分からないうちは矢を抜くな」
と言ったなら、その人は、それが分かる前に死んでしまうであろう。
おまえの胸にも毒矢はすでに射られているのだ。大事なことはそれをすぐに抜くことだ。
どうですか。
僕らにもそんなことあるんじゃないかなぁ。
今、矢が刺さっている。この矢のこと、つまり過去の出来事、原因、そんなことを探してるうちに。。。
大きなことでも小さなことでも、そういうことは有るんじゃないかな。
じゃぁ、なぜ、そんなふうに過去に原因を求めるんだろうか?
それは、もしかしたら、今の状態を変えたくないからかも知れませんね。
前に進むと言うことは、今すぐに、刺さっている矢を抜くことなんじゃ無いかな。
あなたは、どうですか?
あなたも、このお弟子さんの様に、自分に刺さっている毒矢のことを聞き出そうとしていませんか?