大きな病気になったとき、お医者さんにかかる。


基準値を超える値があれば検査して診断してくれて適切な処置をしてくれる。


そのとき、セラピストってなんなんだろうって思う。


医者という存在があるならばセラピストはいらないのではないか、という気持ちになり悲しくなった悲しい


セラピストってなんだ?

体をよくするってなんだ?


医者がいるのだからそんな存在必要ないのでは?ちょっと不満


とぐるぐるぐるぐる考えていた。


そして昨日。めーーーーーちゃくちゃ頭が痛かった。どーにもこーにも痛いガーン


いつもしている自分へのセルフケアをしている余裕がなくなるほど痛く落ち着きを失い、吐いてしまい、手足のしびれも出てきたえーん


行ってよいか迷ったがここまでの頭痛は初めてだったので初めて救急外来へ行かせてもらった。


遅くまで働いてくれている医療従事者の方々。

ひっきりなしに聞こえる救急車の音。


そこには「命を救う。」「生きるか死ぬか。」の最前線でたたかう人達の緊張感とひりつきを感じた。


CT検査をしてもらい、「今すぐに処置が必要な病変はない。後日MRIで詳しく検査が必要。」とのことで帰らせてもらった。

本当に安心できた。ありがたいえーん


でもね、私そこで気づきを得た。


病院は癒す場所じゃない。(もちろん医療従事者の方は頼もしくて優しい方ばかりで本当に心強いです。いつもありがとうございます。)


でもやっぱり、

「判断し、処置する。」

「不定愁訴については様子見。」で終わることが多い。



そこでセラピストの存在の意義を知った。


「不定愁訴に寄り添い、癒す。」


わたしがしたいのはそれだびっくりマーク


今すぐ処置の必要な病気ではないと言われる。

でもいつも気がかりな体の不調。


そこに寄り添いたいんだと気づいたおねがい


そして「大丈夫。」って安心できる体でありたい。そのお手伝いをしたい。


魂=ドライバー。

体=車。


で例えると、「いっつも不調なんだよなぁ。ま、いっか。」で車乗るの怖すぎない?笑い泣き

そのうち事故るかも、、で車乗るの怖すぎだよねあせる

不調があればやっぱり怖いし、なおしたいよね。


やりたいことがちゃんとやれる車でありたい。


でも、そうじゃなくても焦らなくていいニヤリ

↑矛盾してるかもだけど。


完璧じゃなくていいのおねがい



のほほーんとしてたほうがいいおねがい


だって体の内側って見えないし、車みたいにボンネットあけるみたいに覗けないし泣き笑い


「こんな私だけどいいや。」ってゆるそう。

そうしてたらなんか良くなりそうな気がするし。(これ大事。笑)

「夜眠れない私だけどゆるします。」

「頭痛も腹痛も起こる私をゆるします。」

「ドキドキして考えすぎで過呼吸になる私をゆるします。」

「唇の皮がむけてる私をゆるします。」

みたいな。笑


もうどんな不調もとりあえずゆるそう。

「こんなわたしでごめんね。」なんて絶対思わなくていい。


今でも小林麻央さんのブログを読み返して涙が出るんだけど「子供たちを見ていると病気になっちゃったママでごめんね、って思ってしまう。」

と書かれていた。「こんなママでごめんね。」「こんな妻でごめんね。」「こんな娘でごめんね。」って。

もう本当に涙なしには読めないんだけれど。


この体のわたしをゆるしましょう。みんなで。

ほんとに。この体でどんな病気があってもこの体の私をゆるそう。

この痛みも、つらさも、ゆるそう。

眠れないくらい苦しいこともゆるそう。


そうして、また見えてくる希望の光を手繰り寄せていこう。


そんなことを深く考えられた一日でした。


皆さんがどうか体をゆるして、ゆるめて心静かに休めますようにドキドキ


↑真央さんのブログ見ながら泣きながら見た綺麗な空。一瞬一瞬が当たり前じゃないのに。私の頭はすぐに忘れる。