実は、追い詰められているのは、夫ではなく、わたしの方なのかもしれない。
深夜、三女が、急に大声を上げ、トイレに行こうとした。
いつもなら、黙って一人でさっさとトイレに行く彼女。 ところが、起き抜けの三女の大声に反応した私が、「トイレか?はよ、さっさといきな」とちょっとイラつきつつ言ったことに反応し、四女が起きて泣いてしまった。そして、三女が、大声でわめきはじめた。
今思えば、夢と現実の境があいまいな状態だったのだろう。
私が、「はよ、トイレにいきなよ」と言うが、頑として行こうとしない。三女は、わめき続け、廊下でお漏らしをしてしまった。
四女も泣き止まない。 廊下をふいてから、四女をなだめつつ、三女のわめきに耐えていたところ、長女が起きて、「うるさいよ。寝られないよ」と文句を言った。その文句に反応したわたしのなかで、「そうや、うるさいな、こんなうるさかったら、上の人にも迷惑や、このやろ、なんてガンコなんや!コイツ頭オカシイんとちゃうか!」という思いが渦巻いてきた。
翌朝の団地の草刈り前に、夫が連れてくるお客さんの為に、とっちらかった部屋の掃除をしなければならない、、、前夜からそんなプレッシャーがのしかかっていたのも、怒りに拍車をかけた。(その後、私は、眠れなくなり、結局徹夜で部屋の片づけをして、早朝仮眠し、草刈りに出席した)
そして、私は、一番ダメな対応をした。三女の頬を一発パチンとやってしまったのだ。そして、乱暴に服を脱がせ、ズボンをはかせた。三女は当たり前だが、わめきつづける。わたしは、絶望的な気分になった。
すると、これは、まずい、と思った長女が、優しく三女に話しかけた。「こっちにおいで。一緒に寝よう。」三女はわめき続ける。長女はわざわざ起きて、三女に寄り添い、声をかける。「どうしたの?耳が痛いの?」私は、咳き込みながら、「おもらし、したからやろ」と一言つぶやいた。 長女はそれを受け、「そうか、大丈夫だよ。怒らないよ。もう、泣かないでもいいんだよ。お外は真っ暗だよ。みんな寝る時間だよ。みんな寝たいよ。もう、大丈夫。もう、泣かないでもいいよ。」と優しく声をかけ続けた。私は、そのうち長女も三女のわめきに耐えられず、怒り出すのでは?と思ったが、長女は決して声を荒げたりせず、もう、大丈夫、と優しく粘り強く言い続けた。
それは、本来、私のとるべき態度であった。しばらくして突然、三女は、わめきをやめ、うっ、うっ、となりながらも、静かになった。長女は、「泣かないで、我慢するんだよ。」と言って、寝床にもどった。三女は、いびきをかいて寝てしまった。
心の余裕がないのは、私だ。長女は、それを感じ、助け舟を出してくれた。まだ、小学校低学年の長女が、ここまでの働きをするとは、正直おもわなかった。いい年をした母親が、子に助けられ・・・素直に長女の助けに感謝し、三女に心の中で詫びた。
自分がどんなに至らなくても、子を産んだ以上、子育ては、しなければならない。
この件を後日、元保育士の先輩ママに話した。「失敗しちゃっても、子どもって、わかってくれているものよ、大丈夫。後でごめんねって謝っておけばいいのよ。」 彼女の言葉に、ふっと、肩の力が抜けた。
子供は、親の目に見える振る舞いだけでなく、心も見ているんじゃないかな、と思った。私が、自分の弱い心と戦っていることも、何となく感じているのではないだろうかと思うことがある。それは、救いにもなるが、また、怖いことでもある。それは、親が何の反省もなく、無自覚でいれば、それも子供には伝わってしまうのだ、どれだけ外面をとりつくろっても。だから、私は、少々苦しくなることもあるが、結果が出るのはずっとずっと先であっても、弱い心と戦うことだけは、続けたいと思う。