先週の金曜日、約7年ぶりに
火垂るの墓が金曜ロードショーで
放送されましたね。

火垂るの墓は、子どもの頃に何度か見て
作品前半にある、清太と節子のお母さんが
火傷で包帯ぐるぐる巻きになっている姿が
当時怖くて、トラウマになってしまい
それからもうずっと見ていませんでした。
火垂るの墓は、鑑賞する年齢によって
感想が変わると言われているので
30代に入り、子育て中の今見ると
どんな気持ちになるのかなと思い
10年以上ぶりに見てみました。
作品全体で見て1番印象に残ったのは
清太の育児力の高さです!
やっぱり自分が育児をしているから
そこが1番残りました
冒頭で、自宅から避難する際に
節子をおんぶ紐でおぶっていて

この時点でびっくりでした

清太、わずか14歳の少年ですよ。
全体を通して、清太の節子への
接し方に関心しながら見てました。
そこは子どもの頃とは全く違う視点。
早い段階で、お母さんの火傷姿を目にし
亡くなったことを知りながら
節子には話さず、明るく振る舞う清太。
お母さんに会えない悲しみ、寂しさで
泣く節子を励ますように明るく振る舞い
「兄ちゃんうまいで!」と逆上がりを
披露するシーンでもう号泣


涙が止まりません。
まだ4歳の節子、歩くのに疲れたり
グズったりすることも多々あり
そんな時はドロップスで励ましていました。
お母さんに会えない寂しさから
夜泣きをする節子にトントンしながら
なだめたり、おんぶして夜道を散歩したり。
全てにおいて、なかなか
14歳が出来ることではないです。

西宮のおばさんの所を出てから
2人で暮らしていく為に必要な物を揃え
実際に暮らしていく中での能力の高さ。
ネットでは清太は結構叩かれてますが
私は清太は普通にすごいと思うし、
ここまで出来る父親ですら殆ど居ないのに
わずか14歳、しかもお母さんが
亡くなって間もないのに、ですよ…。
清太の節子への愛情の深さにも泣けるし
終盤は、衰弱していく節子の姿
「お兄ちゃん、行かんといて」と泣く
節子の姿に終始涙が止まらない

生活が苦しくなってくると盗みを働いたり
また、銀行にお金を下ろしに行ったり
何かと留守にすることの多かった清太。
1人で何とか遊びながら待つ節子の姿が
最後、描かれていました。
寂しかったろうなあ…
友達の保育士が、
「子どもたちは保育園にいる間は
ずっとお母さんを待ちながら過ごしてる」
と言っていたのを思い出して、節子も
1人で遊びつつ、ずっと清太を
待っていたんだろうなと…泣けました。
なんかもう、親目線(笑)
もう一つは、大人になってから
見て思うのが、清太と節子のお家は
かなり裕福だったんだろうなと…
冒頭で、自宅が出てきますが
すごい立派なお家だなあと…
(戸建てに越してからそういうのに目が行きます笑)
そして
回想シーンでは、お母さんの
「カルピスも冷えてるよ〜」の声。
別のシーンでは
少しずつ体調が悪くなる節子に
何食べたい?と聞く清太。
節子は「天ぷら、お造り、ところてん
アイスクリーム…」のお返事

え…4歳だよね?とびっくり。笑
普通に現代でもご馳走です(笑)
この時代にそれを食べられるのは
かなり裕福だった証ですよね。
最後のシーンに、とても裕福そうな
姉妹たちが疎開を終えて自宅に
帰ってくるシーンがあるのですが
あれが結構ショックでした

あの姉妹たちと清太たちの何が違うのかと…
火垂るの墓に関しては色んな意見があり
海軍の子どもたちがこんな末路を迎える
事はありえないだとか、清太が
西宮のおばさんに頭を下げていれば
こんな事にならなかった…とか
色んな意見や感想がありますが
私は、戦争でお母さんが亡くなった中で
お父さんからも便りが無い中で
たった14歳と4歳の2人で
一生懸命頑張ったんじゃないかと
2人の兄妹愛に泣けましたね。
幸せだった家庭が一瞬で壊れてしまう
親から引き離されて孤児になってしまう子が
未だに多くいるという現実も、
今回改めて考えさせられました。
以上、本当に自己満の記録でした。