関西大震災のあといっそう強まった。
神戸はほぼ完全に破壊され、いたるところの窓ガラスが割れていた。
私は (記者として) 略奪や暴動があったかどうかを探してまわり、
ようやく男2人に強盗されたという店の主人に話を聞いたときはほっとしたものである。
私はいくぶんメロドラマ風の口調でこう尋いたのものだ。
「同じ日本人として、こうした災害時に犯罪をする人々をどう思いますか?」すると彼は驚いて、
これは今でも覚えているが、こう答えたのである。「なに言ってんだ、連中は外国人だったよ」…
日本人のストイックな精神は言葉にも表れている。人々はよく「シカタガナイ」という。
どうすることもできないという意味だ。そしてもっともよく使われるフレーズが「ガンバッテ クダサイ」である。
耐えろ、強くなれ、というような意味である。自然災害は日本の「ウンメイ」の一部だと考えられている。
これは「命」を「運ぶ」と書く。16世紀のキリスト宣教師の手記に書かれていたのを思い出したが、
地震が村を襲っても、日本の百姓たちは数時間後には家を建て直していたという。
…ひとつの関連がありそうな要因は、自然との関係だ。米国人が自然というものを、
自分たちと対峙するもの、飼い馴らさなければいけないものと考えているのに対して、
数えきれないほどの地震を含めて — である。1923年の関東大震災では死者は10万人以上であった。
Naturaの意味をあらわす「シゼン」という日本語はわずか100年ほど前に新しく作られたものだが、
それまではこの概念を言葉にする必要もなかったのである。
神戸地震のあと Times紙にあてたエッセイでも私は同じような結論に達し、
そこでは日本のもっとも偉大な17世紀の詩人、
バショーの句を引用した
The vicissitudes of life.Sad, to become finallyA bamboo shoot.
(うきふしや竹の子となる人の果)
日本の回復力と忍耐力には、なにか高尚で人を勇気づけるものがある。
そしてこれは日本の社会基盤がおりなす打たれ強さと、その立ち直りの速さがまばゆく輝く瞬間でもある。
私の勘では、日本人はおおむね協力し合うのだろう—
これは現在ウィスコンシンやワシントンで展開されている、
犬が犬を食うような二極化した政治とは対照的だ。
もしかすると我々は日本からすこしばかり学ぶべきなのかもしれない。
だからこそ、私たちは日本に深く同情するが、同時に深い尊敬の念をも抱くのである。
