その日の朝、いつものように出勤して8時半を過ぎた頃、
私宛に弟から職場に電話がかかってきた。
実家の近所の方が、実家の雨戸が8時を過ぎても開かないことを心配して
弟に連絡をくれたとのこと。
その年の6年前に母が他界し、弟との東京での同居を勧めたが父は一人暮らしを選んだ。
当時86歳という高齢でもあったのでほぼ毎週私たち姉弟は実家に帰り、
親しくしてくださっているご近所の方にお願いして、
何か変わった様子があったらすぐに知らせてくれるよう頼んでおいた。
几帳面な父なので8時を過ぎても雨戸を開けないでいることはない。
イヤな予感がした。
すぐに実家に行くという弟。
私も職場に事情を話し、電車で実家に向かった。
その間も弟からは父と連絡が取れないとメールが入ってきた。
都心に向かう電車とは逆方向の電車に乗り、人もまばらな明るい車内の中で
私は涙が止まらなかった。
次第にイヤな予感が確信に変わっていった。
しばらくして、先に実家に着いた弟から電話が入った。
ずっと元気な父で米寿のお祝いに旅行に行くことを楽しみにしていた。
お肉が大好きでステーキやとんかつを平気で平らげる父だった。
体調の不調を訴えるようになったのは半年前くらいからだったが
多発性脳梗塞という持病もあったので医者には定期的に通っていた。
9月に曾孫(私の孫)が生まれたときは目を細めて可愛がってくれた。
東京の弟の家に遊びに来て曾孫に会うのを楽しみにしていた。
食欲が衰えてきたがお正月は孫、曾孫も集まって賑やかに過ごした。
亡くなる1週間前は体調が悪かったようだが翌日は病院の診察日。
週末には私たちが実家に帰る予定だった。
亡くなる前の晩・・・
「今日は体調がよくてね、久しぶりに風呂に入って気持ちよかったよ」
の一言が父との最後の会話となってしまった。
今日は父の命日。
昨夜は弟のところにある仏壇に線香をあげてきた。
その日のことは今でも鮮明に思い出す。
父も母も大好きだった「高橋屋」の鰻。
きっと、今頃は空の上で二人で子どもや孫たちのことを見守ってくれていると思う。
140年続く老舗の鰻屋さんで、歌舞伎俳優の市川猿翁さんや中車さんも
贔屓にされている鰻屋さん。
両親の法事の時は我が家もいつも使わせていただいている。
