手と足、・・・、ううん、全身の震えがまだ止まらない。
たくさんの人たち。
たくさんの大きな声。
大きな会場の中に鳴り響く大きな音。
すごい。
心の奥底からそう思った。
い私の愛おしい人、・・・、大ちゃんがいる世界は本当にすごい世界だった。
数えきれないくらいのライトの下で、大きなステージの上で歌い踊る大ちゃんの姿に私の心は震えた。
光り輝くステージで歌い踊る大ちゃんの姿。
大ちゃんや光くんたちが好きなたくさんの人たちに向かってはじける笑顔で手を振る姿。
そんな大ちゃんの姿、何度か映像では見ていた。
けど、映像じゃない、自分のこの目で見た今日の大ちゃんは本当にすごくて、まぶしくて、・・・。
いつもの大ちゃんじゃない。
いつも私と一緒にいてくれる大ちゃんは今日のステージにはいなかった。
若い女の子たちの黄色い声に答えてる大ちゃんは会場に来てるみんなの大ちゃんで、私だけの大ちゃんじゃなかった。
「こんな格好して来るんじゃなかった。」
肩までの長さにあった髪を上にまとめあげ、
荒れた手から視線を指先に逃すために施したネイル、
胸元が大きく開いた真っ白なブラウス、
膝が少し隠れる程度の赤いスカート、
少し走ればすぐに転んでしまいそうになる踵の高いヒールを履いてる自分がなんだか悲しくなる。
束ねず、ほとんど手入れもしてない肩まで伸びた髪。
花や水を毎日扱うから”白くてきれい”なんてところからほど遠い手。
店で動きやすいように身に着ける服はシャツとジーンズ。
水で濡れてもいいように靴はスニーカー。
そしてモスグリーンのエプロン。
いつもの私はこんな格好なのに、・・・。
今日の自分の姿。
そして輝くライトの中に立つ今日の大ちゃんの姿。
無理してるのもいいところ。
まったく釣り合ってない。
また?
自分の胸によぎった思いに小さく首を振る。
また見えないカゲに怯えてるの?
-約束する。俺はどこにも行かないよ。-
この前彼が言ってくれたこの言葉を信じるんじゃなかったの?
「ふぅ、・・・。」
小さなため息をつく。
『お疲れですか?』
「え?」
『お疲れの方にはアルコールよりこちらがいいですね。』
-ライブが終わったらここに行ってて。-
光くんが指示したホテルのバーのカウンターで小さなため息をついたらバーテンダーが声をかけてくれた。
『カモミールティー。心を落ち着かせてくれますよ。』
カウンターに置かれたティーカップに視線を移す。
カップの表面、ゆらゆら揺れるカモミールティーに初夏に入ったばかりの頃、アジサイの花がきれいに咲く頃、一人でお店に来てくれた光くんの姿が浮かんだ。
・
・
・
『お願い、莉夏さん、ここへ来て。』
店のカウンターの上に置かれた一枚の紙。
『きっと大ちゃんも喜ぶよ。』
最近元気がないから一度見てほしい、と光くんが持ってきたパキラの鉢植えの隣に置かれた一枚の紙と、その紙を置いた光くんを交互に見る。
「そうかな?」
『うん!絶対だよ!』
カウンターに置かれたのはライブのチケット。
毎年恒例の夏のツアー。
そのツアーの、ある地方で行われる公演に招待してくれた光くん。
「けど、ここの仕事が、・・・、」
『うん。分かってます。莉夏さんがこの店を大切に思ってること。けど、莉夏さんにとって大ちゃんもまた大切でしょ?』
確かに光くんが言うとおり。
私にとって大ちゃんはずごくすごく大切な人。
好きで好きでたまらない人。
『それにもう一つ。莉夏さんにちゃんと知ってほしいんだ。大ちゃんや俺たちの仕事。』
「光くん?」
『大ちゃんと俺。莉夏さんと知り合って、そんでこの店に来るようになってもう結構経つ。この辺で俺たちの仕事、きちんと見てほしいなって思ってさ。』
いつになく真剣な光くんの姿に私は気付くとコクンと頷いていた。
『じゃ、決まりだね。』
光くんの声にコクンと頷いた私に光くんはカウンターに置かれた紙、・・・、ライブツアーのチケットをすっと私の方へ差し出した。
『サプライズにしない?』
私の方へチケットを押しやった光くんはそう言って微笑む。
『当日莉夏さんがライブ会場へ来るってこと、大ちゃんにナイショにするの。で、当日会場でびっくりする大ちゃんを見て楽しむの。』
「え?」
『大ちゃん、絶対びっくりするよー。』
「光くん、・・・。」
『大ちゃんにはいつも驚かされてるんだ。少しはお返ししなきゃ。』
カウンター越し、私に笑いながら話す。
光くんのこの言葉に乗っかったワケじゃない。
でも一度この目で見たかった。
たくさんの人たちの中で歌い踊る大ちゃんの姿を。
映像じゃない、この自分の目で大ちゃんの仕事を見たかった。
サプライズなんだから、当日まで絶対大ちゃんに気付かれないこと。
当日大ちゃんから連絡があっても一切返事をしない。
これが光くんと約束したこと。
「けど、連絡が取れなかったらきっと心配すると思う。」
『そんな心配、当日会場で莉夏さんを見つけたらどっかに飛んでちゃうよ。そんで飛んでった心配の代わりに最高に幸せな気持ちになるって。』
光くんはそう言って譲らなかった。
そんな光くんに結局負けてしまったカタチになり昨日までの日々を過ごした。
そして今朝、新幹線に乗った。
できる限りのおしゃれをして。
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「あ、美味しい。」
バーテンダーが入れてくれたカモミールティーはあったかくて肌寒いと感じていた体を中心からあっためてくれそうで、いい香りはバーテンダーが言うとおり心を落ち着かせてくれそうだった。
「約束、・・・。」
『え?』
「いえ、なんでもありません。」
グラスを拭いていたバーテンダーに小さく首を振り、カモミールティーのカップのフチを指でなぞる。
いいんだよね。
あなたを信じていいんだよね。
若い女の子たちの黄色い声に包まれるあなたを見て私の心はざわついてる。
あの日のあの約束、信じていいんだよね?
カップのフチをなぞっていた指を首筋にやる。
「シルシ、・・・、もう消えちゃった。」
またつけて。
・・・、ってお願いしたらつけてくれる?
ね?大ちゃん。
俺はどこにも行かない。
ずっと莉夏さんのそばにいる。
大ちゃんがしてくれた約束、信じたい。
信じたい、・・・。
「大ちゃん、・・・。」
『莉夏さん、・・・。』
もう消えてしまったシルシ。
そのシルシがあった首筋からまたカップのふちに指をやり大好きな人の名前を呟いたとき、私の名前を呼ぶ声がした。
『来るなら言ってよ。俺マジでびっくりしたんだから。』
振り返るとバーの出入口に大ちゃんが笑顔で立っていた。
ライブが終わったらここに行ってて、と言った光くんがどうしてそう言ったのか、今初めて気づいた私はスツールから降りて、ほっとした様子でこっちに向かって来る大ちゃんの元へ急いだ。