暫定:神道志向のパワースポットブームと神仏混淆
ご利益信仰で、神社巡り・パワースポット巡りがポピュラーになり、パワースポットツアーが旅行会社によって普通に組まれる時代に変化した
個人的には、JRが長野新幹線のCMに戸隠神社&吉永小百合を使ったことが非常に大きいと思う
熟年層にも、神社系パワースポットへの旅の意識を刷り込む役目を果たしたと思う
この年代には、吉永小百合が効く....
それまで、寺を中心とした観光ツアーは普通であったが、神社は必ずしもそうではなかった
しかし、このCM以降、一変した
JRのCM効果もさることながら、時代が神社参拝・パワースポットブーム・登山ブームに傾斜していることを見切った動きでもあったと思う
特に若年層は、寺に行く人が少ない
神社めぐりは好きだが、寺を避けるという人が目立つ
世間の右傾化の影響で、神社優先が強くなっているのも感じる
と言っても、異常に左寄りだった日本の世論が少し修正されたのに過ぎず、右傾化というほどではないのだが...
しかし、メディアには如実に現れていて、左翼シンパな記事が好まれず売れなくなってきているため、左翼傾向一辺倒だったメディアの風潮が崩れ始めており、右傾記事が増えているのである
アメーバには仏教系スポットは避けて、神社系パワースポットのみ巡拝する方も目立つ
確かに仏教系スポットと神社系スポットはエネルギーの質が違い、良く「陰・陽」の関係と表現される
しかも、大抵の場合、仏寺を「陰」とする。
(マイナス極性のパワースポットとも表現する)
だが、「?」な印象も受ける。
必ずしも全てがそうではないし、日本は元々神仏混淆(しんぶつこんこう、神仏混合ともいう)の世界だからだ
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律令時代、日本に神宮は、2社しか無かった
伊勢神宮と物部氏の氏神である石上神宮(いそのかみじんぐう)だけである
大和朝廷軍の主力である物部氏は、ツングース系夫余(扶餘:フヨ、プヨ/鹿の意味)の神官が出自と言われるが、強固な神道派で、嫌仏派である。
大連(おおむらじ)だった、物部守屋は、自分の体調が悪いのは仏教のせいだとして、仏教を退けるよう朝廷に願い出てているほどである
必然的に仏教派の蘇我氏と対立、神道派と仏教派に分かれて争った
物部氏・中臣氏 VS 蘇我氏・忌部氏の構図
忌部氏は中国南部から渡来した技術集団と言われ、大規模墳墓、神社、勾玉などを造営し、養蚕技術を持って絹を紡ぐ技術を持っていた典型的弥生人。
大陸と同じ四眠種の蚕を使っていたことから、越(南越)または呉に関わると思われる
和服を呉服ということは言わずもがな
古代に最も活躍したのは、阿波忌部氏で、忌部神社は徳島にある
次いで、讃岐忌部氏、紀伊忌部氏、出雲忌部氏(玉造氏)である
奇妙なことに、銅鐸の出土が最も多いのは、出雲だが、2番めに多いのは阿波(徳島)である
銅鐸は、弥生文明の象徴である。
ミトコンドリアDNAのハプログループ分析では、大陸の中国人と同じ「O3」系統が現代の日本人に30%以上いる。
これが弥生人
蒙古斑は、中国雲南省付近が起源であることもわかっている
日本が漢字を輸入したと言うものが多いが、祖先が中国人なのだから、漢字を使って当たり前。漢字のいわゆる音読みは、呉音が主である。
紀元57年には、漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)が送られているのだから、この時代には、漢字が判る者が倭国(日本)にいたと想定される
弥生人の渡来は、紀元前400年~500年頃から始まり、春秋戦国時代の戦乱を避けて日本に渡ったものとされる (4世紀頃まで)
「呉」は、正に春秋戦国時代に中国南部にあった国(民族)だが、滅亡しているため、現在では日本固有種と言える。(王統などは資料があるが、民族の特徴・仔細不明)
揚子江の下流付近の国家で、「呉の太伯の子孫」が日本だとする説は、中世に中国から伝えられ、日本の儒学者たちが支持した
徳川光圀(水戸黄門)が嘆いた説として知られる
中国は、日本を越(南越)と比定したがっている
つまり、中国が始祖でベトナム・カンボジア付近へ移住した過去の民族....と言いたいわけで中華思想からでたものだ
しかし、東南アジア説も侮れない
マレーシア人などは、日本人によく似ていて最近注目のマトである
民族衣装は、縄文人風
実は マレーシア語の発音が日本語に似ていて、言葉も似た部分がある
無関係とは言いがたく、潮流に乗れば日本へ流れ着くのである
最近では四川省でチベット系とみられる大規模遺跡発見があり、長江文明がチベット系と書き換えられる可能性が出ている。
長江(揚子江)の四川省中流域は正に、長江文明の地で、昔から出土品は中華文明と様子が違う
チベット&ビルマは、縄文人の親戚で、ハプログル-プのD1&D3
縄文人は、D2であり、バイカル湖付近出自で、チベットなどと突然変異で分化したとされる
科学的裏付けがある
四川省の発見は気になる情報である
今回の大規模遺跡発見は注目の的で、ヨーロッパ諸国の研究者が調査する意向である
中国は、打ち消しに躍起で、ヨーロッパ諸国の研究者がやってくる前に自分たちで掘り尽くそうという勢い
明らかに隠蔽意図
中国の歴史が少数民族から始まったなんて、ナショナリズム&中華思想が許さないのだろう
忌部氏が代表する弥生の巨大建造物の建造技術は、中国南部から持ち込まれたものであろう
実際、出雲大社などの巨大建築の技術も、説明がついてしまう
大阪の玉造は、出雲の玉造氏が大量に移転してきたため、朝廷が受け入れて住まわせた場所である
しかし、飛鳥時代以降、大規模墳墓が造られなくなり、忌部氏は衰退
さらに、中国北部・朝鮮半島由来の、三眠種の蚕(秦氏が代表格)に押されて没した
中臣氏は、蘇我氏に討たれたが、生き残り、大化の改新で逆に蘇我氏を滅ぼした。
後の藤原氏となり、名家中の名家である
中臣氏は出自が、不明であるが、鹿島神宮に係る家柄とされ、物部氏の伝承流儀を吸収したと言われる。
夫余とは、鹿を神獣とする鹿のトーテムの民であるが、律令時代以降、日本の古社や東大寺以下は、鹿を神獣としてきた。
律令時代は、鹿を傷つけると罰せられたため、最初の生類憐れみの令の時代と言われる
支配層は、夫余系だが、拍族と言われ、すこし違いがある
百済は、朱蒙の後妻の子が高句麗を飛び出して建国したと言われ、馬韓人と秦人(中国からの逃避民)を支配した。
国号を一時期、「南夫余」といい、首都は夫余
王家は扶余氏。
後に中国風にあらためて「余」とした
百済の滅亡時に、支配層(夫余とみられる)は、全員、日本へ亡命した
百済の王家は、朝廷に臣従し、百済王(くだらのこにしき)という姓を賜り、東北地方の国司を務めた。
この時の亡命者からは、書司(ふみのつかさ:文部大臣に当たる)に就いた者もでたが、多くはすぐに降格して、関東へ移住させられた
韓国が、百済は自分たちの祖先の一派だとしているが、これはプロパガンダである
半島に残ったのは、百済の夫余人の支配下にあった、朝鮮土着の馬韓人と秦人である。
中国の史書にも、百済は支配層と被支配民の言語が異なると記録されている
百済の血は、朝鮮半島に受け継がれていない
高句麗も日本への亡命が目立つし、多くが現在の中国北部(つまり満州)やロシア領のシベリアに移動している
高句麗族とシベリアの靺鞨族(女真族、後の満州族)が、ウラジオストック近辺で渤海国を起こしている
韓流時代劇の題材だが、これら民族とその支配地が自分たちのものだというプロパガンダにすぎない

物部守屋
奈良の大神神社の前で、尼僧を裸にして、ムチで打った程の仏教嫌いだった
仏教を巡って対立していた、中臣氏・物部氏vs蘇我市の時代に戻ると......
仏教派の蘇我馬子が、聖徳太子らを引き連れて、大阪の物部氏邸に攻め込み、大連の物部守屋を討って滅ぼした。
587年、丁未の乱(ていびのらん)である
天皇の皇子であり推古天皇の摂政になった聖徳太子が、蘇我氏の代表として仏教に帰依した為、この頃から仏教は朝廷公認の宗教として定着した
蘇我稲目・蘇我馬子・蘇我蝦夷・蘇我入鹿と続いた蘇我氏の時代が、大化の改新で終わっても、仏教の定着に変わりはなく、出家した天皇、つまり法王が出るほどだった。
奈良時代には、神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)という信仰行為がはじまっていた
そして、平安時代には、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)が唱えられ、日本の神道の神々は、仏(菩薩・天部なども含む)が、化身として現れた権現(ごんげん)であるとする考えが定着し始めた
本地垂迹説の神仏の対比は、以下のようになる
天照大神 = 大日如来=十一面観世音菩薩
素戔嗚尊(スサノオノミコト)= 牛頭天王= 薬師如来
八幡神(応神天皇・誉田別命/ほんだわけのみこと) = 阿弥陀如来
熊野権現 = 阿弥陀如来、善財王
日吉山王権現(山王日枝) = 天照大神 = 大日如来
市杵島姫 = 弁才天
愛宕権現 = 智明権現 = 勝軍地蔵菩薩
秋葉権現 = 観音菩薩
大国主命 = 大黒天
金毘羅大権現=大物主命=不動明王
⇒明治の神仏分離令で真言宗寺院から強制的に神社に変更し、崇徳天皇=白峰社を合祀
白山権現=十一面観音
東照権現(徳川家康) = 薬師如来
第六天神=第六天魔王波旬、多化自在天
松尾 = 薬師如来
箱根権現=文殊菩薩・弥勒菩薩・観世音菩薩
⇒明治の神仏分離令で強制的に神社に変更、瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊
仏教の ○○天という神格は、天部と呼ばれるが、元々ヒンズー教の神であり、仏教に取り込まれたものである
その為、仏の輪廻転生につながらない
例、 弁財天 = サラスヴァティー
大黒天 = マハーカーラ(シヴァ神の化身)
他化自在天≒ 第六天魔王波旬(仏教の悪魔)=シヴァ神
本地垂迹説の定着によって、日本では、仏教と神道が習合し、渾然一体となっている
日本独自の宗教環境である
特に真言宗などを中心に、仏閣の境内に、複数の神社が建てられている
これらを、境内社と呼ぶこともある
また、真言宗の開祖空海は、稲荷社を各地に建立している
(神社の場合と寺の場合の両方ある)
日本三大稲荷のうち、神社は、伏見稲荷大社のみ
あと二つは、何れも仏閣である
最上稲荷 (日蓮宗:最上稲荷山 妙教寺) http://www.inari.ne.jp/
豊川稲荷 (曹洞宗:圓福山豐川閣妙嚴寺) http://toyokawainari.jp/
最上稲荷は、日蓮宗の寺院だが、鳥居がある
登録有形文化財のリストを見てみると......仁王門・寺の本堂があって、境内社がズラリ....
神仏混淆(混合)の最たるものである
■最上稲荷 (日蓮宗:最上稲荷山 妙教寺)
- 山門
- 仁王門
- 本堂
- 客殿及び庫裏
- 寒松軒
- 太鼓楼及び渡廊下
- 宝光閣
- 御厩舎
- 御水舎
- 鐘楼
- 清正公堂
- 霊応殿本殿
- 霊応殿前殿
- 霊応殿拝殿
- 霊応殿経王殿
- 五社天王社
- 朝日天王社
- 日車天王社
- 荒熊天王社
- 秀義天王社
- 末廣天王社
- 信受・照両天王社
- 羽弥御崎天王社
- 大乗天王社
- 縁引天王社
- 妙正天王社
- 夜守天王社
- 三光天王社
- 六社天王社一富天王社
- 六社天王社大元鬼天王社
- 六社天王社白糸天王社
- 六社天王社福恵天王社
- 六社天王社福崎天王社
- 六社天王社夜守天王社
もはや、見た目では、寺なのか神社なのか区別がつかない
「最上稲荷」がやたらPRされていて、訳がわからない..(意図的)
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豊川稲荷 (曹洞宗:圓福山豐川閣妙嚴寺)は、密教(山岳仏教)の天部である、荼枳尼天(だきにてん)を祀る
インドの人喰い夜叉(鬼女)であるダキーニが、ブッダによって教化されて、死人の心臓だけ食べることを許されてとするのが、荼枳尼天(だきにてん)
股がっている白狐は、戎(エビス)の化身
イザナミ神・イザナギ神の最初の子供だが、不具の子であり、足腰が立たなかった為、葦の船に乗せられて海に流された。
しかし、兵庫県の西宮に漂着し、育ったという。
海から来た神なので、大漁をもたらす=商売繁盛の神とされ、今宮戎神社のお祭り「十日戎」が有名
「商売繁盛笹持って来い」の掛け声で知られ、十日戎は、毎年100万人以上の参拝客がある
稲荷大人自体、商売の神とされるが、荼枳尼天も戎の影響で商売の神とされる
徳川家康が、信奉したことで知られ、江戸周辺には天下を取った御礼として荼枳尼天を稲荷神社として祀り、多数建てたとされる
愛知の豊川稲荷も徳川家康と関わりが深い
本尊は、千手観音菩薩である
しかし、5月の春季大祭(豊年祈願祭)には神輿が繰り出す......
境内には、お寺なのに、朱の鳥居がある
理解が難しい.........
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仏教系の稲荷の場合、密教(山岳仏教)の天部である、荼枳尼天(だきにてん)などを祀っていることが多い
また、空海は、神社で般若心経を唱えると、八百万の神が喜ぶと説いた
その為、現代でも神社で般若心経をあげる方をよく見かける














