古社と社紋、ミトラ・バール信仰の考察
シュメールは人類最古の(高度)文明といわれる。(BC3500~B.C2000頃)
シュメール神話の太陽神アンは、16弁菊花紋を象徴とし、天皇家と同じである
アンの子、エン・リルは、牛の角を持つ世界を統べる神であり、太陽神にして大気神であった
大気神とは風の神であり、力の象徴にして、軍神である
エンリルが元となってミトラ多神教のミトラ神(牛の角を持つ)が生まれ、オリエント中に広まり、やがて世界中に伝播する
ミトラ神を主神とするミトラ多神教は、B.C.1550頃ミタンニ王国(メディア帝国)で成立し、やがてペルシア帝国の守り神、ミスラ(アスラ)となる。
ミトラとその兄弟インドラ、ヴァルナなどはアフラ(アスラ)と呼ばれる神族。
ミトラ≒アフラマズダはインドの悪神アスラ(アシュラ・阿修羅)になり、インドラが転化して帝釈天に、(インドラの性格を元にシヴァ神を創造)、ヴァルナ神は天空神にして司法神となる。
インドにおいて、仏陀〔釈迦)はヴァルナの生まれ変わりとされ、寺院には多数その意味の絵画・壁画がある
仏教は、ヒンズー教の内数とされ、いわば一宗派、ヒンズー系新興宗教の扱いである
その為、戦後の独立時、国の宗教をヒンズーと定めた時、仏教徒は、追われる事がなかった。
因みに仏教において○○天とされる神格は、多くが仏教以外から取り入れられた神である。
その為、仏陀の化身・分身、修行段階の神格としない
仏教において、最強武神毘沙門天を従える帝釈天軍は阿修羅軍を打ち負かし続けるが、阿修羅は、負けても負けても、あくなき闘争心で向かってくる。
嫌気がさした帝釈天は、阿修羅を天界から地に落とすが、仏陀(釈迦)によって教化され阿修羅は悟る
また、ミトラは、マイトレーヤに転化し、弥勒菩薩になった。
ミトラの光と英知は、アスラマズダとして神格化され、ゾロアスター教の主神となる
又、牛の頭を持つバール神に転化し、ヘブライ民族やオリエント各国で信仰され、各国で独自の変化も遂げた
例えば、古バビロニア王国では、マルドゥク神に変化し、16弁菊花紋を引き継ぐ
オリエントに起こった各帝国では、シュメールの文明が絶大な影響力を持っており、ミトラ神(バール神)由来の16弁菊花紋を持つ王家が幾つも存在する
ユダヤのダビデ王もそれであり、シュメールと連携していたアッカドのナラム・シン王の紋も16弁菊花紋である
この地域では、16弁菊花紋自体が神紋で重視されていたのである。エジプト、イスラム、インドでにもその影響は及び16弁菊花紋が見られる。
新バビロニア王国のネブカドネザル2世(B.C.6世紀)が建てた
また16弁菊花紋は、六角の亀甲紋をそのバリエーションとし、六芒星(六角星・ヘキサグラム)が生まれ、ユダヤで信奉されたバール神の神紋は、16弁菊花紋と六芒星である。
その為、ダビデの星として六芒星は知られ、ユダヤのシンボルマークである
日本の国章といえば天皇家の16弁菊花紋だが、実は、「五七の桐」という準国章があり菊紋に次ぐ格式。
元々は天皇家で使用された紋章(嵯峨天皇の頃から衣服に使用された)であるが、足利将軍家が使用し、豊臣氏も変種(太閤桐)を使用した為か、天皇家の重臣の紋として定着
明治時代には天皇が任命した官吏の衣服や勲章に使われる用になった。その為、首相が公式に使用し、法務省と皇宮警察本部は、「五三の桐」を使用する
この、「五七の桐」もユダヤ関連で色々言われるのだが.......
イスラエルの国旗は、ダビデの星を採用し、国章はユダヤ教シンボルでもあり、光の信仰に基づく、七枝の燭台=メノラーを採用した
メノラーも光の信仰もまた、ミトラ神(アスラ・アフラマズダー)・バール神の、太陽神・光の神の性格を元にした光の信仰に由来するものであった。
キリスト教でもメノラーや蝋燭の光は特別な意味をもつ。
日本においては、ゾロアスター教を通じて、灯篭や護摩となり定着した。
マイトレーヤたるミトラの神格はキリスト教に影響を与え、ミトラ神格に良く似たキリストという神格を造り出すが、この件はユダヤ・キリスト教徒のタブーとなる。
ローマ帝国において、ミトラ多神教とキリスト教が勢力争いを行うが、キリスト教側が、ミトラを邪神・悪魔として攻撃し始め、ミトラ多神教は衰退していく
またユダヤ教は、バール神信仰と結びついていた時期もあるが、バール(および金の子牛崇拝)をエホバ(ヤーヴェ)に、そむくものとして激しく攻撃する
モーセは、ヘブライ人が拝んでいた金の子牛像を破壊する。
しかし欧米の絵画では、モーセが天啓を受けたとき、バール神に因む角が生えた姿を描写することが多い
ヘブライ人のバール信仰は、根深く、ダビデ王は信奉しバールの神文である、16弁菊花紋と六芒星を盛んに使った。ソロモン王の玉座には子牛像があった。
しかし、偶像崇拝(子牛像・バール神)が元で、北イスラエル王国の民は、神(ヤーベ)の教えに背き、怒りに触れて散らされたとする。これが失われた十氏族である
カバラ秘数思想に基づくユダヤ教の密義は、六芒星(ヘキサグラム)から五芒星(ペンタグラム)を生み、
前者をエネルギーのシンボル、後者を魔よけのシンボルとし、やがて魔術のシンボルとなった
一方で、五芒星を最初に使ったのは、シュメールであるとされウブと呼んでいた(BC3000)
古代ペルシャ湾ににて行われた漁法には、鉢巻きやヘラにセーマン(五芒星:護身の意)とドーマン(縦4本横3本の格子マーク:海の女神の意)という文様を付ける習慣があったともされている。 |
この密儀は日本にも伝わり、安倍清明で知られる呪術「陰陽道」となる。
陰陽道や中国では木、火、土、金、水を5つの基本要素として五芒星であらわす。
五芒星は清明桔梗紋と呼ばれたりし、家紋で使われる場合は、陰陽道が起源である
因みに、旧日本陸軍は、護身・弾除けとして五芒星を採用し軍服に刺繍した。
五稜郭や米国国防総省=ペンタゴンと同じ思想である
また六芒星もシュメールのレリーフに見られ、シリウスが起源である
安倍清明を祀る 清明神社
邪神扱いされた、ミトラ・バール神は、牛が山羊(羊)に転化した姿に歪められていく。
六芒星は、魔術の怪しいイメージもあり、邪神教のイメージも植えつけられ、悪魔には五芒星を上下逆にしたシンボルが当てはめられた。悪魔=バアル神である
しかし、日本ではミトラ神が、弥勒菩薩として伝播し、バール神は仏教の守護神牛頭天王として伝播する。
牛頭天王は神仏混交によって武神スサノオミコトと同一とされる。
(ミトラの太陽神・救世主の性格が天照大神になったのではないかと言う説もあり、この場合、天照大神≒須佐男命は、表裏一体説になる)
また、神道は偶像を持たない。その点が、ユダヤ教の信仰と似ているという指摘もある
そう言えば........聖書にこういう文があった
エズラ第四書』第13章
「彼らは異教徒の群れから離れ、人類がいまだかって住んだことのない土地へ行き、
自国では守ることの出来なかった規則をせめて守るようにとの計画を、
お互いに持ち合って、さらに遠い国へ進んだ」
日本が、人類の住んだことが無い土地ではないだろうが、オリエントや欧州から見れば、それに近い感覚の島だろう
更に東に向かった=日本に向かったと取るならば「人類がいまだかって住んだことのない土地」とは、ヒマラヤ山脈orゴビ砂漠ではないか?
ヒマラヤ山脈のウエサク祭りが、京都の鞍馬寺で正にウエサク祭りとして盛大に挙行されている。
義経が武芸を習った天狗は、ユダヤの山岳修行僧に酷似するといわれ、鞍馬山は六芒星(ヘキサグラム)が幾つも刻まれる。
隣の貴船神社との間に咲く草花は「キブネダイオウ」といい、日本で唯一自生する
この草花、実はヒマラヤにしかない草花で、日本に元々ある種の植物で無い
またゴビ砂漠は、失われた十氏族が痕跡を残した地として、イスラエルの高官であるシャハン博士が指摘した場所である
失われた十氏族は、偶像崇拝が元で、神の怒りを買い散らされた。
ゆえに、北イスラエル王国では、守れなかった、偶像崇拝の禁であろう
だが神は十氏族を捨ててはいない。
エゼキエル書37章19節
「見よ、わたしはエフライムの手に あるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、
これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。」
失われた十氏族とユダをまた一つに戻すと予言している。
現在「イスラエル共和国」を名乗っているのは、南ユダ王国のユダたち。
失われた氏族の帰還を願って、失われた氏族=イスラエルを名乗る
エフライムは、十氏族の一つであるヨセフの子でマナセと兄弟である
アミシャブによると、チベット近辺には、シンルン族(メナシュ(=マナセ)族)、カレン族、チャンミン族がマナセであるとされている
特にチャンミン族(羌岷族/羌族)は中国にいて、ツングース系民族であり現在約30万人。
古の日本語に極めて近い言語といわれている
中国の歴史書にはかなり古くから登場するが、ずっと虐げられてきた民族だという
人扱いされなかったとも言われる。ユダヤチック
(漢人に捕らえられて人身御供/生贄にされたという.....)
チベットの諸族に混じって生活しているが、何故か彼らだけはシャーマニズム
羌(Qiāng)族は、「漢書」「魏略」に登場する民族で、「後漢書-西羌伝」で詳細に書かれている
紀元前5世紀には現在の羌族が構成され、白狼をトーテムとしたことから、犬戎(西戎)が祖ではないかという説もある
現在の羌族は太公望を出した南羌族とは別とされる。
匈奴に服属していたが、匈奴が漢に追い払われると、漢に服属したとしている
が、度々反乱を起こして漢に討伐されている
3世紀の三国時代には魏と蜀の国境地帯にいて、日和見で魏や蜀に付いて戦ったという
国家としては後秦・西夏を築いたが以後は振るわない
(夏王朝・秦王朝を建てた説もある)
チベット・ビルマ語族の祖とされ多数の部族に分かれるが、一部の部族が大月氏の分派と混血し小月氏と呼ばれている。匈奴に追われた月氏の一部が羌族を頼ってきたとされている為、元々近親関係にある部族だとも言われる
月氏は、日本書紀の「弓月君」に率いられた大型渡来人集団と同一とされ、秦氏と見られる集団である
月氏もアミシャブが、失われた10氏族の可能性が高いとしている。
発音が微妙で、日本語表記にする場合、チャン・キョウ・カン(あるいはチャンミン)と表記される
これら民族は縄文人と同じ、遺伝子にYAP因子を持つ、D系統である。
ユダヤなどはE系統で、近いが別種。
10氏族もE系統とされているが、エフライムとマナセだけは、D系統なのである
かなり匂うのは事実............
更に聖書は記述する
イザヤ書 第41章1節
島々よ。私の前で静まれ。諸国の民よ。新しい力を得よ。島々は見て恐れた。
地の果ては震えながら近づいてきた。私はあなたを地の果てから連れ出し、
地のはるかなる所からあなたを呼び出していった。私が北から人を起こすと、
彼は来て日の出るところから私の名を呼ぶ。
イザヤ書 第42章10節
主にむかって新しい歌をうたえ。その栄誉を地の果てから。海に下る者、その海
を渡る全ての者、島々とそこに住むものよ。主に栄光を帰し島々にその栄誉を告げさせよ。
これは、もう言葉が出ない...........
尚、日本人の多くの方はキリスト教徒などではないし、聖書をお持ちでないだろうから
聖書の記述を確認したい方は、以下のHPを利用されるのも良いでしょう。
聖書全文の、日本語訳が、検索・確認できます。
財団法人 日本聖書協会
「聖書本文検索」
http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi
古社の分布と社紋は、民族や文化の流入、そのルーツ判定の材料になるかも知れ無いため、古社の社紋や特徴を調べてみる
日本の古社と社紋・神紋
日本の神社には、古来よりの政祭一致の地方の支配者とみられる一族が、代々神社を守りしている場合がある
その為、古社の検証は意味がある
しかし、神道では祭神の追加・入れ替えが、古来より時折行われている。社名の変更も良くある
特に、明治以降、神仏混交状態を分離する為、急遽、祭神を他社から招請して祀っているケースが目立つ
社紋の変更は余り無いようだが、念のため変更がなかったかも調べてみる
唐花菱ともいい、中国伝来の紋であるらしい。
飛鳥・奈良時代から、使われた由緒正しい紋であるとの事。
武家は丸みを取った菱を使うことが多く、天皇家から別れでた清和源氏の末裔で戦国武将
武田氏の菱紋は特に有名
宇多源氏の末裔 佐々木氏の結い目紋、更に分家の尼子氏・京極氏の四つ目紋が有名
天皇家から別れでた源氏の流れを汲む佐々木氏は、日露戦争の将乃木希典、赤穂浪士
堀部安兵衛、幕末の高杉晋作などを子孫に持つことで知られる
出雲(島根)にある、国内唯一、スサノオミコトの本身を祀る神社を称する古社。
バール神由来か?亀甲である
出 雲 大 社
(二重亀甲剣花角紋)
大国主神が天津神に国譲りを行う際、天孫が住むのと同じくらい大きな宮を建ててほしいと求め、造営されたという伝承
平安時代の延喜式神名帳には「出雲国出雲郡 杵築大社」と記載され、明治4年(1871年)に出雲大社と改称した。
出雲国造家の称号と出雲大社の祭祀職務は、一子相伝とされたが、千家氏(せんげし)と北島氏(きたじまし)の二氏に分かれ、それぞれが出雲国造を名乗るようになった。
南北朝時代~幕末まで出雲大社の祭祀職務を平等に分担していた。
戦前は両家とも男爵であった。明治には80代千家尊福が、司法大臣・東京府知事等を歴任。
現在、出雲大社の宮司は千家氏が担って、熊野大社と併せて祭祀に専念している。
出雲氏の祖は天神天穂日命であるため、出雲氏と出雲族は異なるものと考えられている
奈良・平安時代の出雲国造は、その代替わりごとに朝廷に参向して『出雲国造神賀詞』を奏上する儀礼を行っていた。
他にそういう氏族は、日本に無い。
朝廷に近しい氏族で、独自の強大な勢力・所領を持っていたが、臣下の礼を取っていたと思われる。
第83代国造千家尊祀は、国造を継いだ翌年の昭和23年(1948年)6月、宮中に参内して出雲玉造産の御統玉三種一連を献上し、古代以来の神賀詞奏上を行った。
出雲大社の本殿は、皇族天皇といえども、立ち入れない唯一の場所
六角形の亀甲で花菱(伊勢神宮)を囲むところが意味深。
出雲......山陰・山陽は、この紋が多い
三つ足鳥居は、ネストリウス派キリスト教徒の関連が言われるが、この場合は微妙
単に、海の中に立つための補強にも見えるし...3つ足というよりも6つ足だから
神獣の鹿がいる事で知られるが、鹿をトーテムとするツングース系扶余族との関連が伺われる
厳島神社のある宮島は、古代より島そのものが神として信仰の対象とされてきたとされている
伊勢神宮は、現在の伊勢市に移るまで、伊勢神宮と称された神社が幾つかある
それを元伊勢という。
元は右の石版があり、裏神文だという六芒星が刻まれていたが、騒ぎになりすぎたせいか、現在は巴紋に変えられている
祭神は豊受大神(亦名天御中主神・国常立尊)で伊勢神宮外宮と同じで、この神は最も古い最初の神である
豊受大神はここから伊勢に移ったとかかれている
ユダヤの三種の神器、マナの壷があると噂される神社で同じく元伊勢である籠神社の元宮
近隣の浅い海から最近、海底遺跡(祭壇や階段らしきもの)が見つかっている
亀甲紋の中に、一、大など文字が入るのが出雲系神社の特徴
最古の家系海部氏と関わる日下部氏が社家だが祭神とは関係ないと見られている
元伊勢 籠(この)神社
絵馬に六芒星が見える
代々宮司を務める海部(あまべ)氏は、日本最古の家系で天皇家より古いといわれている
海部氏の家系図は、国宝である
日本書紀が編纂されるまでは、日本の神はひとつだったという伝承が残る
出雲大社の摂社として造られたとされる
現在、出雲大社の宮司は千家氏が、熊野大社と併せて祭祀を担っている。
伊勢神宮と並ぶ、日本最古の神宮。創建2000年と言われる
まぁどう見ても大和朝廷の色合いが濃い
神宮皇后摂政前紀に百済より献上された七枝刀がある
ガドの紋の変形だという方が多いが、う~んといったところ
古社ではあるが、祭神は漁師(一般人)で、旧社格も低く郷社
土地の権力者と結びついた形跡もなく、朝廷からもほぼ無視されていて、民衆の神社としての存在
これでは、特別な民族縁の社としての存在感が感じられない
朝廷に逆らった勢力の社ならば、潰されているかor鎮魂の為にある程度敬意をもたれるかだが、どちらでもない社風。
特別な神職家も無い様子
日本神話の海幸・山幸の話が、聖書起源であるという説が頭に無いことは無いのだが、その海幸関連とはちょっと考えにくい
ガドの紋章というのは、うがち過ぎの感...........
伏見稲荷大社
言わずと知れた、秦氏から別れでた伏見稲荷家が神官を務める古社である
全国に分祀社約三万五千といわれ、分祀社の多いこと神社のうち第一番とされる。
稲荷神社創建の縁起は、泰公伊呂具が、餅を的として矢を射たところ、餅が白鳥になって飛びかけ、三が峰の山上に止り、そこに稲が生じた。
和銅四年、伊呂具がそこへ神社を建て、伊奈利社と名付けた。
イナリはイネナリ(稲生)が転じのちに稲荷の漢字をあてたものである。
伊呂具がはじめ祭ったのは山上の社殿で、泰氏の祖神であったろうが、稲荷の語から穀物の神である倉稲魂神が主祭神となり、山上の祭神を猿田彦命とした
猿田彦命は道開きの神で、神像を描くときは赤顔の天狗とする。
天狗≒ユダヤ人の公式(?)が、成り立つ場合もあるとかいうが.....
稲荷神社が、これほど沢山ある理由は、分祀申請で飛脚が介在して手軽に受け付け・建立できた事も大きいが、当初は、空海と提携して寺の中や周辺にセットで稲荷社が設けられた事が大きい。
何故空海?と奇妙に思うが、ふとネストリウス派キリスト教の件が頭に浮かぶ。
秦氏は、ネストリスウス派キリスト教であったと言われる。
京都太秦(うずまさ)の蚕ノ社が、奇妙な三柱鳥居である理由は、キリスト教の三位一体説とされる
ネストリスウス派キリスト教は、原始キリスト教でユダヤ教に近い宗教。
しかし、マリアを聖母と認めなかった為、431年エフェソス公会議で異端と断じられ、排斥されて、ササン朝ペルシャに逃れる。
その後中国にも伝わり、唐代には、マニ教、ゾロアスター教などと共に「三夷教」とされ大流行し、景教(大秦景教)と呼ばれており、大秦寺という教会を中心に中国皇帝の勅命で各地に教会が建てられたほどであった
空海は遣唐使として、唐に渡ったが、景教の洗礼を受けたとも言われる
空海の開いた真言密教の総本山(高野山)には、唐の「大秦景教流行中国碑」の模造碑が置かれている。
高野山には空海の持ち帰ったマタイの福音書が保管されており、法要の際の十字を切る仕草は、景教の儀式を導入したものだといわれている。
空海は景教の経典を密教と称して持ち帰り、後に親鸞が全文通読したといい、写本の一部が西本願寺に残っている。「世尊布施論」。世尊とは、キリストの事で、真宗とは唐代に景教を指した言葉
親鸞の興した浄土真宗はキリスト教的だと昔から言われ、親鸞自身は肉食妻帯という仏門の徒としては常識外の人物とされる
秦氏と空海はネストリウス派キリスト教でつながる。
稲荷神社とのタイアップはこの可能性が濃いと思う
しかしこのことは、重要な問題をはらんでいる。
秦氏関連・空海関連・真言密教関連の事案は、日本・ユダヤ同祖の証拠から外さねばならない
少なくとも、別枠で考えねばならない
ネストリスウス派キリスト教=景教が持ち込まれた事案の関連物に過ぎないからである
(秦氏が最初に渡来した十氏族?という説に疑念があるから)
論理的でなくて申し訳ないが......
直感的に、稲荷社≒キリスト、空海縁の仏閣≒エホバ(ヤーヴェ)と感じるからである
故にタイアップが成立するのではないか?......と
これらの考察として
1)秦氏は宗教活動の中核を担う聖職者一族ではない。技術者集団
いわば民として景教に接する側で、ありながら、稲荷社を建立し広めていることから、信仰主体がキリストと考えられる
キリストの存在理由は、神が人界に降りて人に接する時、キリストとなるからである
よって人の世に、建てられる神の家=教会はキリストを主祀し十字を掲げ、人に神の教えを伝える
数多く建てられた稲荷社の性格は、正に教会の性格を帯びるからである
INRI⇒INARI(いなり)説も気になるところ.
2)また、十氏族の離散時期は紀元前722年。弓月君が日本に来るのは実に1100年後である
月氏はBC3世紀~、分裂して大月氏BC2世紀~キルギス付近で仏教国化し、5世紀に滅亡
大月氏が中国に仏教の一宗派を伝えているほど
小月氏は中国内陸部、チベット北方、青海付近のシャマニズム民族で現在に至る
景教の秦氏と月氏、同一のように言われるが、なかなか、接点が見出しにくい
一方で、秦氏より早く、ペルシア系パルティア(安息国)の亡民は、滅亡するやすぐに日本に姿を現している様子。
ユダヤの十氏族の本隊が天皇と率いられる集団とするならば、パルティアの亡民の2度の来朝、弓月君と大集団の来朝は、いずれも朝廷に歓待されている
つまり、後からきた集団である。
密教は、空海以前から存在し、役小角という存在もいて、全国で開山を行っている
ゆえに、別枠でこの集団(秦氏と空海系)の影響は捉えるべきではないのだろうか?
また、十氏族とほぼ同時に姿を消したヒッタイトの動向が気になるところ
スキタイ族がどうも、ヒッタイトと重なる。またスキタイと扶余族が繋がる可能性がある
鹿のトーテムである扶余族が日本で鹿を神獣とする神社系勢力となった可能性が高い
そして、気になるのは国生みの順番
淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、本州
海路で日本に到着し淡路から順に攻略(侵略)していったとすれば、実に筋が通る点である
攻略しにくい畿内を最後に、東征して行ったさまにも符合する
最初の子、戎は、足腰が立たず、子どもとしては、失敗作=侵攻失敗、または意見が合わず分裂とも取れる。
漂着先が西宮の伝承。
そういえば、アミシャブが淡路のホテルの庭先でマナの壷を発見したって怪情報もあったが.....
地元で見つかった遺物を置いてあったそうで