クニグンデの純愛物語 | 神聖ローマ帝国の旅

神聖ローマ帝国の旅

Eile nicht , Weile nicht ! 中世ドイツを旅するブログ

*2018年6月の旅行記です。

↓ここから始まっています。

 

久しぶりの旅行記の更新でございます。

グラーツの続き、

今回のBGMはこちら、

フランツ・リストの「Liebestraum」でございます。

 

グラーツの旧市街、

坂道を上がっていきますと、

宮殿のような建物に出ますが、

ハプスブルク家の宮殿でございます。

 

神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世が建てたもので、

彼が残した謎の暗号、

「A E I O U」

の文字が壁に刻まれております。

 

彼が作らせた、

謎の螺旋階段も残っております。

ナニコレ?

といった感じであります。

 

宮殿の向かいに建つ大聖堂、

「大聖堂」というわりに小さいのは、

ここも宮殿の一部であり、

もともと宮廷礼拝堂でありました。

 

この宮殿で、

フリードリヒ3世の娘、

クニグンデは育てられました。

生まれは、

1465年3月16日、

魚座であります。

魚座の女子って、

自分のことを、

「おとぎ話のお姫様」

だと思っているんですってね。

まぁ、実際、

彼女はお姫様です。

兄は

のちの神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世、

その兄と同様、

ウィーナー・ノイシュタットの宮殿で生まれました。

そこはウィーン郊外でして、

当時のウィーンは、

市民の暴動があったり、

ハンガリー軍に攻め込まれたりで、

かなり騒然としていましたが、

彼女は、

ゼメリング峠を越えた、

陽光溢れ自然に満ちた、

シュタイアーマルクの首都、

ここグラーツの宮殿で育てられましたから、

自由で、陽気で、感性豊かな、

お姫様となりました。

 

チロルのインスブルックに滞在中、

クニグンデは、

隣国バイエルン公国のアルプレヒトに見初められ、

結婚を申し込まれます。

 

まぁ、

バイエルンの公爵様に、

結婚を申し込まれるなんて、

なんて素敵なのでしょう!

 

なにしろ自分のことを、

「おとぎ話のお姫様」

だと思っていますから、

クニグンデは単純に喜びました。

 

しかし、実情はというと…。

 

当時、

チロルを領有していたジギスムント伯爵は、

自分の領地を担保に、

バイエルン公国から大借金をして、

贅沢三昧の暮らしをしていました。

バイエルン公国としては、

もともとバイエルン領だったチロルを、

オーストリアから奪い返す、

大チャンスだということで、

皇帝の娘に目を付けた、

というわけです。

ジギスムント伯爵というのは、

クニグンデの父帝フリードリヒ3世のイトコです。

 

お父つぁんのフリードリヒはフリードリヒで、

娘をバイエルンに嫁がせることで、

イトコの借金をチャラにしてもらって、

チロルを奪われないようにしよう、

という算段でありました。

 

ところが、

バイエルン公アルプレヒトが、

レーゲンスブルクに攻め込む。

レーゲンスブルクは、

バイエルン公国の中にある、

帝国自由都市ですから、

バイエルンとしては自領にしてしまいたい。

しかし、

帝国自由都市は皇帝直轄地ですから、

フリードリヒ3世が激怒するわけです。

 

娘をあんなヤツに嫁がせるわけにはいかん!

この婚約は無かったことにする!

 

しかし、

バイエルン公アルプレヒトは、

「狡猾公」の異名をとる男、

フリードリヒ3世の結婚承諾書を偽造して、

 

ほら、

キミのお父さんは、

ボクとキミとの結婚を祝福してくれたよ

 

とクニグンデに見せます。

 

なにしろ自分のことを、

「おとぎ話のお姫様」だと思っていますから、

 

まぁ素敵!

 

とクニグンデは早々に、

バイエルン公アルプレヒトと結婚します。

 

のちに承諾書がニセモノだと知り、

父が結婚に反対していたことも知りますが、

 

だってもう、

愛を誓い合って結婚してしまったのですもの!

 

魚座女子は、

お姫様のようにふわふわしているけれど、

意思が固く、

情に厚いのです。


バイエルン公妃として、

3男5女をもうけ、

バイエルン公国の発展に、

大いに尽力し、

幸せに暮らしたのでした。

 

ダンナとお父つぁんの政治的諍いについては、

 

お兄ちゃん、なんとかして!

 

と兄マクシミリアンに頼み、

マクシミリアンがうまく処理して、

チロルは彼の領地となりました。

 

めでたしめでたし…