ドイツ最果ての町 | 神聖ローマ帝国の旅

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Eile nicht , Weile nicht ! 中世ドイツを旅するブログ

2012年4月の旅行記は、まだ続いておりますよ。
久しぶりの更新なので、これまでの行程を歴史地図で示します。
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4月3日早朝にフランクフルト帝国自由都市に到着。
ICEでブラウンシュヴァイク・リューネブルク公国の新都ハノーファーへ行き、
午後遅くにブラウンシュヴァイク・リューネブルク公国の古都リューネブルクに到着。
4月4日はリューネブルクを見物し、
4月5日はメクレンブルク公国のシュヴェリン~ヴィスマール。
4月6日は、午前中にロストクを見物し、
そして午後、ポメラニア公国の首都シュトラールズントまでやって来ました。
 
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シュトラールズント中央駅。
ドイツ最果ての町です。
 
実は当初、壮大な旅行計画を建てていて、
ラトヴィアのリガから、
ロシアのカリーニングラード、
ポーランドのグダニスクを経て、
ここシュトラールズントまでたどり着く、という、
バルト海沿岸の国際的ハンザ都市巡りを妄想していたのですが、
資金と時間と旅の難易度を考慮して、
ドイツ国内のバルト海沿岸ハンザ巡りという、たいそうこぢんまりとしたものになりました。
 
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中央駅から旧市街へ向かい歩いていくと、
旧市街の入り口に、ドイツ銀行の大きな建物がドーンと現れます。
中世のお城のようですが、新しい建物です。
たぶんここにかつてシュトラールズントの立派な市門があったのではなかろうか、
それを再現した建物なのではなかろうか、と想像します。
 
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なぜならこの建物のすぐ脇からこのように、
シュタットマウアー(市壁)が続いているからです。
 
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旧市街に入るとすぐに、例によって東ドイツ的なだだっ広い新マルクト広場があり、
そこをを抜けると、
かつてのハンザの館が建ち並ぶフランケン通りが港へ伸びています。
写真手前の建物の入り口が開いていたので入っていくと
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内部も当時のまま保存されていました。
 
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美しく保存されたこの家、ドアの上にSchiffer Stiftung Hausと書かれています。
おそらく、リューベックにもあった、ハンザの船員協会の建物でしょう。
 
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通りを進んでいくと、中世の修道院に突き当たりました。
 
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壁にANNO1637と書かれています。
 
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修道院の裏手(というかこっちが表か)が、シュトラールズントの旧港です。
現在は魚市場になっています。
 
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こちらが現在の港。
あぁ、ここが、ドイツ最果ての港。
本当は、真冬にやってきて、
凍りつくような白い港の風景を見たかったのだ…
 
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港から旧市街を望むと、街のシンボルであるニコライ教会の塔が見えます。
 
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旧マルクト広場に、ニコライ教会と市庁舎が隣接して建っています。
リューベックやヴィスマールなどと共通した雰囲気を持つ、
ブリックゴシックの、いかにもハンザ都市らしい質実剛健とした、教会と市庁舎です。
これから想像するに、
今や大都市となっているハンブルクやブレーメンも、
中世期はこんな感じだったのでしょう。
 
マルクト広場は、石畳の張替えだか発掘だかで、金網が張られ立ち入り禁止になっていましたが、
通常ならば、ここに賑やかな市場が立つようです。
 
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市庁舎一階部分はパッサージュになっていて、
かつては、ハンザの交易品が並べられ、賑やかに取引が行われていました。
 
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シュトラールズントの町は、
北をバルト海、東西を湖に囲まれた、三角形の町です。
 
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町を見渡せる湖の対岸で休んでいたら、
チビッコが「オレを撮ってくれよ」と言いたげに寄って来たので、撮りました。
 
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この日は、午前中ロストク、午後シュトラールズントと、
ずっと歩き回って、相当くたびれた。
新マルクト広場のカフェで、また休憩。
 
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美しいコッゲ船の看板。
 
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ヴィスマールに戻ると、また雨…
 
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