自民党総裁選に名乗りを上げた人達

   自民党の総裁選は、日本にとっては極めて重要な政治行事である。何故なら自民党の総裁になることは日本の首相になるとほぼ同様なことになるからだ。俺はそう思っているが、多分間違ってはいないと思っている。しかし世の中の流れは一寸先は闇ともいわれている。そのことが少し現実的に思えるのは、ここ数か月の内閣支持率である。信じられない支持率であることは間違いないが、とはいってもそれに代わりうる政権、もしくは政治家がいるわけではない。ただ現状の内閣に対して不満である。ただそういうことだけである。この不満をこういう風に解消するのだ。もしくは改革するのだ。そんな政策を打ち出すような政治家は見えていない。よく言われることだが金権政治に決別する。これは言葉では簡単で、真正面から打ち出している政治集団、日本共産党が該当するが、日本の国民階層は長い間、支配層に骨の髄まで反共思想を植え付けられているので、全く無知無能になってしまっているから、その正義の政策が理解できない。悲しいほど無知無能になってしまっているとしか言いようがないのだ。日本の支配層の反共教育は徹底していたのだ。何故それが理解されないのか、それは人間の資質にある個人主義が資本主義にリンクされて、如何にも人間的にさえ思えるような教育かもしれない。共産主義を最も嫌う人たちは念仏のように攻撃するのは平等という言葉である。平等公平は本来的には素晴らしい言葉だが、これを支配層はものの見事に逆用した。仕事を頑張っても、しなくてももらえるものは平等に、単純であればあるほどわかりやすい、しかしソ連邦のスターリンの遅れた思想教育、スターリンという愚物が実権を握ってしまったため、優れた共産主義者はシヘリアに送られ、その結果ソ連邦の民主化は喪失され、発展は無くなり、ついには崩壊に至ってしまった。レーニンは地下で涙を流していることだろう。誠に残念である。それでもその道を追求している人たちがいることに驚きを禁じ得ない。話を戻そう。自民党の総裁選。今回は本命なき戦いともいわれている。果たして誰が新リーダーになるのか、77の低年金爺だが、それでも少しは興味があるのだ。