袴田事件について冤罪は間違いないが検察は認めない体質

   袴田事件は長い裁判だ。弁護団が指し示す数々の証拠により、その無罪は常識のある人間なら認めざるを得ないはずだ。しかし検察側はそれを絶対に認めることは無い。その核心は検察側における袴田が真犯人とする当時の刑事たちの勘である。あいつ以外に犯人はいない、そういう思い込みである。それは過去に発生した沢山の冤罪の源其のものだろう。「現場の刑事の勘」証拠など必要ない、あいつ以外に犯人はいない。そんな現場の刑事の勘によりたくさんの無実の人間が犯人とされていたのが日本の、いや世界の犯罪の履歴だろう。そして厳しい自白の強要によって、大概自白調書は出来上がるのだ。しかし日本の司法制度も大きく変換した今は、昔とははるかに改革されている。

 つい先日松本清張の日本の黒い霧が映像化された。青酸カリを利用した凶悪事件、下山事件、それらは警察機構が占領軍という上部機関のもとで管轄されていたため、真実に迫ることができなかったことがさらけ出されていた。警察は真実を暴き出す役割だが、しかし警察は人間が維持管理する機構に過ぎない。

 袴田事件は当時のレベルの最悪の警察機構が作り上げた事件だった。それらは当時いかに稚拙な警察機構だったのか、人的に絶対的にレベルの低い人間によって維持されてしまったためであろう。しかし警察機構が己をレベルが低いなどと認めることは当然あり得ない。何が何でも奴が犯人だとして、その証拠を最終的には捏造してまで作り上げたということだろう。警察機構が自らの過ちを認めることは苦渋の選択しかないが、新しい裁判官は斟酌しないだろう。正しい判決が出ることを願う爺であります。