威風堂々 幕末佐賀風雲録 大隈重信伝

 日本歴史で一番面白いのは何といっても幕末から明治維新までだと爺は思っている。勿論歴史の面白みは人それぞれだと思う。しかし爺自身は徳川300年の平安が地滑りのような変動期になり、下級武士が歴史を動かしていった時代は何といっても凄い時代だと思えている。爺は今まで薩摩長州の人達を中心としてみていた。しかし幕末という時代、倒される幕府側としても様々活躍した人物はいる。新選組や当初新選組の創設にかかわった清川八郎などはその生きざまに感動さえ覚えたものである。そして今回威風堂々で佐賀風雲録として佐賀藩の士として大隈重信について初めてその人となりを知らされ、その面白い生きざまと優れた人格に驚かされた。大隈重信という名は勿論知っていた。早稲田大学の創設者、実はその程度で総理大臣の経験もあるように覚えている程度だった。しかし威風堂々で佐賀藩士として若いころから優れた資質を持つと同時に抜群の行動力、弁舌のうまさを兼ね備えた偉丈夫であったことを知らされた。偉丈夫だが決して撃剣が得意というわけではなかった。得意なのは学であり、弁で同時に行動力というものだろう。いま前巻を読み終えたが、爺が一番驚いたのは再婚したのだが、その再婚相手との経緯である。書かれている内容がにわかに信じられないのだ。明治政府が確立し、大隈は東京に屋敷をもらうのだが、その屋敷は徳川氏の旗本住んでいた五千坪の敷地を持つ邸宅だった。旗本が住んでいたが徳川末期で旗本も生活厳しく、大隈が住むために改修工事の必要があり、職人大工が入って作業していた。その時大工の棟梁のカミさんが弁当届けに来訪し、大隈と顔を合わせる。屋敷の様子に詳しそうなのを見て、その辺の事情を聞くと元旗本の娘という身分でありながら、苦しい台所事情の旗本武士故、娘の嫁ぎ先として、選ばれた男は、今は大工の棟梁となっているが、旗本の一族だったが、徳川氏は没落、それゆえ大工の棟梁として養子になったという。そういう生活にすさんだ生活で、訪れた妻にもDVの毎日だったことを知る。訪問先で大隈とそんな話をしたのだが、その物腰態度、そして器量の良さに大隈は魅入られてしまう。大隈の即断即決の最たる姿として、このカミさんとの邂逅で、この人こそ自分の再婚相手としてふさわしいと判断、その場で自分の嫁になってくれと頼み、了承されると、その場で元旦那と手切れをする行動力、ホントの話なのかとしばし疑う爺であります。当時外務大臣職だったときの話であります。佐賀風雲録、実に面白く読ませてもらう爺であります。作者伊東潤氏の作品です