ALS嘱託殺人に思う

難病のALS患者が発信した安楽死依頼に応じた医師が逮捕された。これは嘱託殺人として刑法に載っていて、懲役六か月以上、七年以下の罰則とされている。亡くなった方の依頼に応えたものだが、殺人行為として罰せられるのだ。

しかし安楽死を望んだのは患者であり、医師は患者の要請に応えたに過ぎないのである。この事件当然これから裁判になり、その行為の審判が下ることになるだろう。

それにしても患者の父親が行為を行った医師を糾弾しているが、どうも理解に苦しむのである。患者は生きる望みを無くし、死ぬことを望んでいた。ならば父親は何をしていたのだろう。患者はマンションに一人ヘルパーによって支えられていたという。父親は娘さんの絶望的状況にどう対応していたのだろう。生きる意味の大切さを説いていたのだろうか、生きるとはどういうことだろうか、不治の難病であるALSという病、自分の意思が全く自由にならず、筋肉が動かなきくなる恐怖、爺がもしその病を発症したならば、同じように安楽死を望むだろう、人間には生きる自由があると同様、死ぬ自由があっていいはずである。しかしALS患者は自ら死ぬことはできないのだろう。こんな悲惨なことは無いのだ。人の生き方は様々である。どんな状況になっても生きたいと思う人もいる。現にALS患者でありながら、この間選挙に立候補して当選した人もいた。人の生き様は様々である。爺は自殺を望む人には、生きていることの素晴らしさを訴える。それは命を得るということが、どんなに素晴らしいことであるかを知っているからである。爺のような平凡でつまらない人生を歩んでいる人間でも、思い出せば楽しいことはたくさんある。しかしALS患者の話を聞くと、絶望的状況が理解できるような気がするのである。特に今回の患者においては、発症前の活躍状況からするならば、死への渇望が起きたとしても不思議ではない。

この件は裁判で争われるのだが、現行法では嘱託殺人と断定される。しかし世界的には安楽死行為への理解が進んでいるという。この行為の医師が非難されているが、果たしていかがなものであろうか、疑問を感じる爺であります。